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ひとりごと・・・その2



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2007年4月11日

人はなぜ走るのか(ベルンド・ハインリッチ)−6

つづき。


p96-97:ズグロアメリカムシクイ(鳥名)たちは、ここで大食いの段階に突入する。・・・(略)・・燃料が満タンになると、次はマサチューセッツ州ケープコッドにある最終集結地に集まる。そこからはるばるベネズエラまで、約3500キロのすさまじい大洋縦断ノンストップ飛行へ旅立つのである。

p98:さらに驚くべき渡りの旅をしているコシジロウズラシギ・・・三昼夜つづく4500キロものノンストップの旅に飛び立つ。

p99:体重が250グラム(うち130グラムは脂肪)まで増えると、コオバシギは理論上の最長無着陸飛行距離である約4700マイルを達成するのに十分な栄養を蓄えたことになる。毎時47マイルの速度で飛ぶとすれば、約100時間飛んだところで食糧補給のために羽を休めなければならない。

(ハインリッチ氏はこの鳥の渡りに関して、栄養やエネルギー効率とかいう話に偏っていて触れていないのだが、あちきはこれらの鳥の集団のほとんどすべてが渡りきるという点に興味を覚えます。
鳥の中には若くてまだ力が十分でないものや、年齢の高いものもいるはずです。しかし例外を除いて、ほとんどすべての個体が想像を絶する距離を飛び越えてしまえるのです。
この意味するところは何かというと、ヒトであればほとんどの個体が100kmくらいなら走りきれるはずだということにつながるわけです。
もちろんヒトは、日頃トリたちより遙かに怠けた生活をしているので、いきなり走れるわけはありません。しかし少しばかりトレーニングを積みさえすれば、まずどんなヒトでも100kmは走れるに違いないのです。いかがでしょうか?)

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人はなぜ走るのか(ベルンド・ハインリッチ)−7
つづきです。


p100:草食動物は、大量の植物の葉からわずかなエネルギー資源を取り出すため、巨大な胃と長い小腸が必要となる。植物繊維をエネルギー源として飛ぶような旅客機はない。旅客機に必要なのは、高度に精製されたジェット燃料で、簡単に素早く燃焼できる効率の高いエネルギーである。そのような力強い飛行の習慣を維持するために食餌には慎重になり、植物の葉よりも果物や昆虫のタンパク質を選ぶようになったに違いない。

p101:今日でも、鳥類の何種類かや、私たち人類のような雑食餌の変化は、体の中心部分で、内蔵の大きさに影響を及ぼしている。タンパク質をとる量が増えるだけで、腸の長さや大きさが減少するという生理的反応が起こるのだ。

p102:鳥類は進化の途中、いつか、どこかで、体の中にできた空気間隙が肺につながるという大改革を起こした。このつながりによって、肺を通過して空気を呼吸することができるようになったのだ。(p103に図あり)・・・(略)・・こういった新しい呼吸方式によって、今の形態、生理、行動のほぼあらゆる面において、さらに一歩ずつ修正を施し、鳥類への道が開かれていった。

(今日は何も思い浮かばないので、引用だけです〜・・)

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人はなぜ走るのか(ベルンド・ハインリッチ)−8
つづきです。

p104:鳥類は、たぐいまれな有酸素運動能力と呼吸能力を得たおかげで、エベレスト山の上空の希薄な大気中でさえ、必要とあらば高い代謝コストを支払って飛行することができるようになった。・・・(略)・・ガン(鳥)の大きな適応構造のひとつは、ヘモグロビンに酸素を赤血球に結びつける非常に高い能力が備わっているということだ。・・・(略)・・・人間のランナーでは、ドラフティング、つまり前走者を風よけに走るのはよく知られたエネルギー節約方法だ。鳥はきまってそうしている。

(・・・・特に何も思い浮かびません。そんなものでしょう・・ちゅうくらいです)

p105-106:タッカーの装置(ランナーのトレッドミル作業量測定装置の鳥仕様)の実験結果から、鳥のパワーは飛行速度だけによるものではないことが明らかになった。タッカーのセキセイインコは、毎時20キロメートルで飛んで、有酸素運動能力のほぼ最大値に近いエネルギーを消費していた。1時間につき、体重1グラムあたり約35ミリリットルの最大酸素摂取量である(人間に換算して最大酸素摂取量583)・・・(略)・・・エネルギーコストや飛行速度の計算値と比較した研究の結果、ほとんどの種の鳥が、最小限のエネルギー消費量で飛ぶのではなく、最長飛行距離を達成するために飛んでいることがわかった。・・・(略)・・渡り鳥は最長距離を達成するために努力するが、最小限の労力によってでは決してなく、最大速度によってでもない。全行程を飛びきるための最小限の労力で、最も長い距離を飛ぶことができるある特定の労力によるものだ。長距離ランナーは、自分たちや走る距離にぴったり合ったその特定のレベルの労力を探し求め、見つけ出さなければならない。

(人での最大酸素摂取量は、一流のマラソン選手で75-80 ml/kg/min、サーカー選手で65-70 ml/kg/min、20歳の一般青年男子で約48 ml/kg/min、40歳の一般成年男子で約41 ml/kg/min、60歳一般成年男子で約32ml/kg/minであるといわれています。これに比較すると、鳥の最大酸素摂取量はどれほどずば抜けているかわかります。
この部分の最後の方に出てくる、「ある特定の労力」というのが、人の場合どういう労力に相当するのか?は非常に難しいと思います。というのは、鳥は↑にハインリッチ氏が書いているように、何千キロもの距離を最小限の労力で「うまく」飛ぶわけですが、その「うまく」というものの価値判断が人によって千差万別だからです。
たとえば、どんな距離でも、とにかくヨタヨタとでもうんと時間をかけてでも完走すればいいというのと、順位を争いタイムを競い自己の限界に挑戦しようというのと、同じ「うまく」がまるで異なるわけです。
このあたり、同じ文化として超長距離を走ろうとするにも、個性が出てそれが基本的に鳥のような切実さではなく、遊びに起因する人との違いでしょう。この点に触れていないハインリッチさんは、鳥のような人?)


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人はなぜ走るのか(ベルンド・ハインリッチ)−9
続きです。


p108:(長距離を渡る鳥たちは、長旅に旅立つ直前に丸々と太るが)人間のウルトラマラソンランナーはスリムなほうがよい。途中で食料や水分が補給できる限り、余分な体重をかかえて走るのは負担になるし、そのためにペースが落ちる。精鋭のランナーたちは、男子にしろ女子にしろ、体脂肪率は数パーセント(1〜6%)にすぎないが、すべてを使い切るならば、数百キロは十分に走れるだろう。

(本当に精鋭のランナーは体脂肪率1から6%ですか? これはちょっとマユツバです。それにもし本当だとしても、「すべてを使い切って」走る等ということが可能なのかどうか?これはかなり疑問・・・つまりハインリッチ氏は頭の中だけでそう考えているに過ぎないわけです)

p108:自分がもし鳥だったら・・(略)・・あきれるほどの長旅には、とてもついて行けないだろうという人がいるが、それは間違っていると思う。鳥たちは、おそらく何かをしなければならないという理屈で行動しているのではなく、強い衝動に駆り立てられているのだ。楽しく気持ちよく感じるから、そうするのである。楽しいという感覚は、健康な生物体が生き延びて子孫を残すための一助となっている。

(これはとても重要なことをいっていると思います。想像を絶する距離を渡る鳥たちも、決してイヤイヤ飛んでいるのではない。楽しく気持ちいいから飛ぶのだと。。。
あちきもずっと以前に観覧車マガジンに書かせて頂きましたが、ヒトがアフリカから発しユーラシアに分布し、ベーリング海峡を渡って南米の南端までいったのは、きっと楽しく楽しく移動したのに違いない・・・と。
この自分の体が移動することを喜ぶ感覚こそが、ウルトラ屋さんたちに太古から残っている、動物としてのヒトの重要な感覚に違いない)


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人はなぜ走るのか(ベルンド・ハインリッチ)−10
続きです。


p111:プロングホーン(アンテロープ)はドレッドミルの上を、呼気をを集めるポリエチレン製マスクを装着したまま、秒速10メートル(時速36km)で全力疾走した。このときのトレッドミルの傾斜は11%で、プロングホーンは1分あたり体重1キログラムあたりにつき300ミリリットルというすばらしい最大酸素摂取量を記録した。・・・(ちなみに)フランクショーターは71ミリリットルである。

(アンテロープだけでなく、いわゆる有蹄類やチータなどの最大酸素摂取量は確かに巨大であるに違いない。だがそれはあくまで有酸素運動のためのものでしかない。つまりヒーヒーいってド〜〜と走り抜く能力には優れている。しかし何日もかけて延々と走り抜くような運動ではない。最大酸素摂取量の劣る人は他の動物よりは遅いが延々と追い続け、ついには獲物が疲れ切り動けなるのを獲るという方向を選択したわけだ)

p111〜112:しかし、ある一定のスピードでは、アンテロープの酸素摂取量は、ほかの動物にみられる数値とほとんど変わらない。従ってアンテロープの足の速さは、移動に費やされるエネルギーが少ないこと(つまり効率の良さ)では説明がつかない。高い最大酸素摂取量は、まさに酸素を使って走る能力と対応しているのである。

(このあとハインリッチ氏は山羊とアンテロープを比較している。ヤギは足は速くなく、持久力に優れているわけでもない。ヤギの有酸素運動能力はアンテロープの1/5である。アンテロープの方が気管は太く、肺容量は3倍、肺のガス拡散能力もまさる、心臓も心拍数も大きい、血液中のヘモグロビン濃度が高い、骨格筋の重量は大きい、ミトコンドリアの数も多いので筋肉中の酸化系酵素も多い、体温もヤギより2.6度高い。。。つまりアンテロープの素晴らしい走行能力は、とりわけ奇抜なメカニズムによるものではなく、"普通の特徴"のいくつかをまとめて強化することによって得ている。そして「一つのシステムの中で、ある一部だけが他に比べて優れた能力をもったとしても役には立たない」と述べている)


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2007年4月11日

しばらく本の人はなぜ走るのか(ベルンド・ハインリッチ)からの抜粋を載せます。
これはmixiの私のブログに書いたものです。
それを掲示板にも載せていたのですが、掲示板荒らし対策に使用していた「禁止ワード」に
どれかの文字がひっかかり、どうしても掲示板に載せられなくなりました。
ここにその抜粋をのせることになった経緯です。
順序がおかしいかも知れませんが、まずは1〜5まで。
その後に上に行くに従って番号が増えていきます。。。つまり書いた日があとになるということ。
なおマルカッコ( )
の中は私のコメントと印象です。

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人はなぜ走るのか(ベルンド・ハインリッチ)−1

Sataさんお勧めのこの本、面白かったです。ためになることもいっぱい書いてあった。
で・・、これから何回かにわたって、この本の中から気に入った部分を取り出してみたいと思います。気に入ったというのはあくまであちきの基準でしかないですから、他のことをすっ飛ばしてるからといって不満に思わないでくださいね〜
なおカッコの中はあちきの独り言です。

p.13:私たちはみな生まれながらのランナーであるが、多くの人はその事実に気がついていない。
(まったくその通りですよね。多くの人は自分が走れることすら気がついていない)

p.14:運動は生命とほとんど同じことを意味する。
(人に走ること(スポーツ)とは何かを説明するのに、あちきはこのところこれとまったく同じことをいってます。スポーツという言葉の語源は遊びだそうですが、スポーツ=遊び=生命活動が成り立つと思います)

p.16:果てしない人間の歴史を逆戻りして原始まで帰る、これを実行しているのがランナーだと思うのです。1万年も前、果実と木の実と野菜を食べ、コンスタントに身体を動かし、心臓も肺も筋肉も快調に保っていた、そんな時代の生活がどんなふうだったのか、ランナー達は身をもって体験しているのです。現代人たちがもうほとんどやらなくなってしまったこと、つまり古代人あるいはそれ以前の原始とのつながりを確認し直す作業をしているだけのことなのです。このことこそ、ランニングをする者がいつもひとりで走りながら楽しんでいる最大の秘密なのではないか、と私は思うのです。
(これはもうコメント不要)

つづきはまた後日。。。当分続きます。


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人はなぜ走るのか(ベルンド・ハインリッチ)−2

つづきです。

p18:ブッシュマンの絵は、走ること、狩りをすること、ベストを達成しようと努力する人間らしさを表しているように思える。他の動物は、みなもっと現実的だ。目に見えない動機や報酬から切り離された美学によって行動することはない。この絵を見ていたら、・・(略)・・「レースは観衆が理解できる数だけ感動を与える芸術作品のようである」。そう、評価するための秘訣は理解することにあるのだ。
(前にも書いたけれど、動物も人も遊び=運動は生命活動の深い部分と関与している。しかし動物の運動(単に獲物に追いつくことや逃げること)より遙かに文化的な深みが人の走るという行為には含まれている・・・といいたいのでしょう)

p19:外へ出て孤独な道を走る人。心に夢を抱き、目を輝かせ、頭にゴールを描きながら走る人たち。勇気を持って大レースに臨み、夢を目指して心を燃やし尽くす人々を私は素晴らしいと思う。

p23:筋肉が冷えると、血液から酸素を取り出すのに時間がかかるため、効率よく力を出す能力が低下する。

p29:私たちの体は、遺伝子による素材、適切な栄養、わずかばかりの簡単な教育によってすでにできあがっているのだが、おそらく投てき競技と違ってランニングは、改造する必要はどちらかといえばほとんどない。
(前回と同様に、人はすでに超長距離を走る能力を元々持っているのだという立場からいっている。たしかにゆっくりとではあるが長時間・長距離を走ることによってどんな獲物も捕ることができる特殊な能力は、すべての人に与えられているものだと思う)

p47:トレーニング計画には、心と体の結びつきを理解するための体育が取り入れられている。レスラーとしてイストミア祭に参加したプラトンは、ギュムナシオンで体を鍛えて健康を保ったといわれるソクラテス同様、しっかりした教育には体育が欠かせないことを力説した。
(ギュムナシオンとはジムの意。この部分で気に入ったのは、「心と体の結びつき」という点。まさにあちきもこのことを昔から思っているのです。このことによって人は、長いトレーニングを続ける意味を理解するし、その結果を次に止揚させることができると思うのです)




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人はなぜ走るのか(ベルンド・ハインリッチ)−3

つづきです。


p53:ランニングでは、自分自身を含めて、ほかのだれもだますことはできない。事実と真っ向から対決せざるをえないのだ。
(これはランナーのすべてが常に体験することだ。そして走り始めた人がランナーになりうるかどうかが、この点にかかっているといって過言ではないよね)

p54:現代生物学は、心のと体の結びつきが現実に存在することを証明し、以前はSFの世界のように思われていたメカニズムをいくつか解明した。精神は、感覚によるインプットと、生理学的なアウトプットとの媒介者として働くのである。
(この心と体の結びつきという点が、「科学」では安易に扱えないところなのだと思う。。。WHOの健康の定義に「Spiritual」という言葉が取り入れられているとおり、道は開かれつつあると思うけど・・・)

p69:自然は余分な部品を与えていないし、どの部品にも余分な性能は与えられていない。全体をよくしようと思えば、あらゆるシステムを同時に向上させなければならない。そんなことができる薬物があるのか? ひょっとしてあるかも知れない。しかしちょっとした修正で部品を一つ改良したところで、長い鎖の中で限界を隣の環へ移しているだけなのだ。調和と整合のとれた方法で瞬時にして体全体に作用する因子があるとすれば、それは人の心だ。そこから気力と勇気がわき出てくる。
 スピードと持久力を鍛えるためにただ走ることは、あらゆる関連部位、つまり非常に長く非常に複雑な鎖の、おびただしい数の環のすべてを同時に緊張させることになる。つまり、ランニングに必要な複雑さと効率をものにするための簡単な方法は、ランニングなのである。
(だとすると筋トレは意味ないの?・・たしかになぁ・・・ウルトラにおいてはそういわれるとそんな気もするけど・・するとクロスカントリーがもっとも有効なのかな・・・)


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人はなぜ走るのか(ベルンド・ハインリッチ)−4

続きです。。。その前に、いつも感心することなんですが、この本の挿絵は多分ベルンド・ハインリッチ氏自身の手になるものだと思います。素晴らしいプロ並みの絵です。

p77:最大酸素摂取量の基本となる酸素消費率が、必ずしも持続エネルギー消費率を判断する手がかりになるとは限らないことは証明された。
(あちきもいつも思っていたのですが、よく体力テストなどで調査される最大酸素摂取量・・・どうも学者が頭だけで考えた代物ではないか?と・・・)

p78:すべての有酸素性パワーのもとであり、運動を持続できる力を与えてくれる唯一の細胞内の構造体であるミトコンドリアは、進化論的に見ると微生物に由来するからである。それを「細胞小器官」と呼ぶか、住みついて繁殖するために人体を利用する「高度に適応した微生物」と呼ぶかは、その人の判断だろう。

p90:しかし私は、腕の振りと呼吸にとてもはっきりした結びつきがあると思っている。・・・(略)・・長距離走ではいくらかエネルギーを節約することはまちがいない。
(人の胸郭と腹腔の間には横隔膜が張っています。この横隔膜は上にふくらんだドーム状になっています。走るときに腕を振ると、上体と下半身がねじれます。このねじれが横隔膜のドームを自然に下に押し下げ、呼吸を助ける動きになります。実際、普通に立っている上体で下半身だけくるくると、左右に半回転させてみると分かります。おのずと呼吸してしまう。これを走っているときに使わない手はない。走るときには腕を振りましょう)

p90:私は、普通のウルトラランニングの経済速度では、自分の足の運びに対する呼吸に、ある非常にはっきりしたパターンがあることがわかった。いつも1回の呼吸でほぼ三歩走っていた。二歩で吸って、一歩で吐くのだ。・・・(略)・・・いずれの場合でも息を吐き出すには一歩しかかからず、残りの歩数で行きを吸い込んでいた。この規則性がどれほど重要なことかはわからないが、エネルギー節約と何か関係があるのではないかと思っている。
(今日のランで、あちきも何歩で何回呼吸しているか注意してみました。するとあちきの場合は、4歩で一呼吸でした。つまり吸うのに2歩、吐くのに2歩。
吐くのに2歩かかるのは、ハインリッチ氏とは異なりあちきの走りが遅いからだと思います。途中少しスピードを上げてみましたが、やはりそんな感じがしました)



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人はなぜ走るのか(ベルンド・ハインリッチ)−5

つづきです。


p91:ハチは高温で乾燥した砂漠のような環境下でも、驚くべき持久力型の運動選手であることがわかっている。飛行時の体温に近い、摂氏40度の気温でも飛ぶことができるのだ。・・・(略)・・・しかし、ハチは汗をかかないのだ。・・・では、ハチが他とは違う点は何か?
・・・・(略)・・・
驚いたことに、花の蜜を集め終えたハチは、胃の内容物を口から吐き出し、その液体を前脚で体中に塗り広げる。巣に戻ると、水分が蒸発して体に残った固体(糖類)を仲間のハチがなめてとるのだ。

(あちきは夏になってハダカで走るといつも思うのですが、人間は水冷エンジンだな・・・と。どんなに猛暑の昼間でも、汗がどんどん出て気化熱を奪ってくれる。少しでも風が吹けば、ひんやりします。
んで、汗腺のあるウマは汗をかけるのに、イヌはかけない。だから口から舌を出してハッハとやって、呼吸でしか熱を逃がせない。ところが真夏にイヌに水をかけてやろうとすると、大抵のイヌは嫌がる。結局イヌは大昔から人間と一緒に暮らして水に慣れてもよかったはずだけれど、その遙か以前からのイヌの進化の歴史から見れば、まだまだ大した時間人間と過ごしたわけではないのだな・・・)

p93:トレーニングを始めた直後に膝が痛み出した。整形外科に行くと、「軟骨変形だ。ランニングをやめなければ、ひざ頭をはずして、ごみ箱に捨ててしまいますよ」と言われた。本当にそう言われたのだ。この言葉は長いあいだ耳に残った。そんなことより私が考えたのは、変形した軟骨があるなら、走ることでそれをすりつぶしてしまえば、取り除くことができるということだった。だから走行距離を伸ばした。

(ハインリッチさんのこの結果は、成功している。これはまったくウルトラ屋さんの弁だと思う。大抵のウルトラ屋さんは医者に行かずに、いろいろな故障と付き合いつつ治しているようだ。医者に行くと、たいていの場合「病名!」をつけられ、「治療や処置!」を受けてしまい、治療を継続するようにいわれ、かつ完治するまでそこを使うな!といわれる。これを真面目に聞いて、医者にいい思いばかりをさせるのはもうやめよう。。。なんちゃって・・・責任はとりません)


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エンデュランス号漂流(新潮文庫・Aランシング著、山本光伸訳)を読みました。

以前読んだ同じ題名の本は、A4判で写真が多かった。写真が多いともちろん
一目で伝わってくる情報が多く、わかりやすい。
しかしそのときは図書館から借りたということもあって、ザーと流し読みしたのでクイが刺さったままだった。
今回、古本で文庫本を見つけ、訳者も違うしこちらの方が原文に忠実そうだったから、
全部マジメに読んだ。というより、途中からはぐいぐいと引き込まれ、一気に読まざるを得なかった。

これは小説ではない。
南極探検船エンデュランス号の乗組員との直接インタビュー
および日記や写真などをもとに、まとめる形で書かれた事実の記録だ。
そして”すごい”という言葉ではとうてい現し切れない、人間の生きるための極地での
戦いの日々が繰り広げられている。 「壮絶」というのはこういう場合に使う言葉だと思う。

南極探検はアムンゼンとスコットばかりに焦点が当てられている。これは片手落ち以外の何者でもない。
このエンデュランス号の乗組員の戦いの日々は、あちきが今まで読んだ最も感動した本の、
ほとんどトップに位置します。

1914年、シャクルトン(スコット隊に入って南極経験がある)率いる28人の英国人が、
初めての南極徒歩横断に出発。
しかしその年は気候的条件が悪く、南極探検船エンデュランス号は氷に閉じこめられ沈没してしまう。
それからの約1年半を乗組員全員が力を合わせ、氷上を移動し、荒れ狂う海に乗りだし、
エレファント島にたどり着く。 そこまででもものすごい苦労だ。
しかしエレファント島は無人島。 絶壁の下の猫の額ほどの場所に漂着したので、ペンギンの
糞だらけの悪臭・強風吹きさらしなどで最悪の条件。
そこにいて越冬するよりは捕鯨基地のあるサウスジョージア島へ、シャクルトンほか5名が
魔のドレーク海峡を22フィート(たった!!)のボートで乗り切って助けを求めにいく。。。という記録である。

常時寒く冷たくびしょびしょに濡れる冬山や、大波で揺れる大洋を小舟で行く(近代的なヨットですら)
ことを少しでも経験した人には、これがどれほどの環境の中で
どれほどつらい自然と(もちろん自分とも)の闘いであったかが、現実に近く理解できる。
(あくまで現実に「近く」だ。 本当のことは年中温室で生活している
日本人には正しく想像できない)
今のように防水生地はない。間違ってもゴアテクスなんかないったらない〜!!

しかも長い厳しい氷や風と海水との戦いによって、着ているものは常に濡れ擦り切れて
ぼろぼろになっていたらしい。
ある記述で、服を脱いで見ると下半身が、全部ふやけて白くなっていた・・とある。下半身全部だ。
萩往還で3日3晩雨の中を走って、足がふやけた・・などとケタが違うことがわかる。

こうした信じられない苦難の末に捕鯨基地にたどり着いた3人の男たちが、
港で働いていた現場監督に「アントン・アナセンのところまで連れて行ってくれませんか?」と
落ち着いて語りかける。

この落ち着いて静かな物腰で・・・というのがいかに正しく現実を物語っているかがわかる。
決して今の若者のように”ヤッター”などと叫ばない。。。
。。。それほど彼等の苦難が大きかったことの証明だ。
・・・(この部分から耐えられなくなったあちきの目からは、涙がぼろぼろと流れ続けた)


「求む男子。至難の旅。僅かな報酬。酷寒。暗黒の長い日々。
絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と賞賛を得る」
これがシャクルトンが出した人集めの広告だそうだ。
それに対して5千人以上が殺到して志願し、シャクルトンが稲妻のような速さで
直感的に隊員を選んだ、とある。 これがイギリス人だとわかる瞬間だ。

今の日本でこの広告を見て何人の若者が集まるだろうか?

いずれにしてもこの本はあと何度でも読みたい。


2006年5月26日

野山は淡い新緑を過ぎて、もう緑一色。夜にはカエルが大合唱。遠くの景色はぼんやり
として、なにやらけだるい。
今年の萩往還はギックリ腰のおかげで、112キロでアウト。 萩を最後にしようと思って
いたのに・・・もう一度行かないとと思ってしまいます。でも来年は多分行かない。

ところで、走ることを知らない人の誤解に「走ることが気持ちいいからに違いない」、というのが
あります。もう何度もあちこちで書いてることです。 走ることは、あたかも麻薬のように気持ちいいのだろう・・・と。
ま〜、確かに気持ちいい時もないとはいいません。 今の季節、乾いた風の吹く五月晴れ
の下なら、走っていて快適そのもの。 身体全体が喜びますね。
でも、それを求めてランナーは走るのでしょうか? 
少なくともあちきは違う。 そもそもそんな時は一年に数日しかない。

あちきは「走る楽しみ」あるいは「走れることの喜び」を味わうために走る。 何度もいったり
書いたりしていますが、「健康のため」とか「身体にいいから」とかではなく、「走りたいから
走っている」のです。 そしてさらに、その理由は「楽しいから」だ。

「気持ちいい」と「楽しいから」とは、まったく異なる。 一見似ているが、本質的にまるで違うものだ。
「気持ちいい」の方は、言葉通りに肉体的感覚として気持ちいい。それだけです。
スキーをするのは気持ちいい。おいしいものを食べるのは気持ちいい。○○をするのは気持ちいい・・・
全部同じ「感触」として気持ちいいを求めてる。
一方「楽しみ」ということのためには、もっともっと深い理由がなければならない。
超長距離走には大別して、ウルトラランとジャーニーランがある。
ウルトラランは遙か彼方まで走ること自体を楽しんでいるが、ジャーニーランは走ることを手段として
旅をすることに主眼がある。 これは走ることを逸脱してしまっているのだ。
歩きより遙かに効率よく、自転車や車より遙かに細部に目を凝らすことのできる
旅行がジャーニーランだと思う。
さてここまで考えると、「楽しむ」ということの意味が見えてくる。
つづく・・・



2006年3月24日

もう春ですね〜〜。先日の冷たい風は嘘のよう。沈丁花が咲いて梅が満開。
ヒュウガミズキも黄緑色の花をつけました。 今日の夕方のランでは、ちらほら桜の姿も見えました。
で、さて21日の続きでしたね。 走る意味は?という話はどうなりますか・・・

ところで・・・・
管理人の自宅が引っ越ししたのに続いて、職場でも引っ越しです。そういうシーズンなん
ですね。。。で、管理人は雑多な性格が災いしてか、職場での引っ越しとなるとこれまたゴミとの
戦いです。。。かつては資料、今はゴミ。。。さっさと捨てればいいものばかり。
つい手に入れたときの苦労や労力・お金を思って保管しておいたもののうち、90%がやはり
捨てられる運命です。。。(TT) (TT) (TT)

上記のように形あるものを置いておいてもいつかはゴミと化す。 自分でもゴミにするのだから、
他人ならもっとだ。 たとえば・・・それこそ管理人が死んだ日には、”あ!これは爺さんがやってた
しろものだ〜、くっだらね〜〜”と捨てられる。 (第一おいておくスペースがない)
じっさい捨てられなければならないと思う。 残しておいて回顧以外に大した意味があるわけでなし。
そもそもが、あちきは遺物を残しておくような偉い人間であるわけがない。

かなり偉い人であっても(偉いってなに?)、死後その人の何をどれだけ残すべきかというのは、
難しいことなのに違いない。・・・たいがいは経済的価値などから考えて処理される・・・
・・というとしかられるかもしれないが、ま、そんなものでしょう。
つまりどんな人も多少の形あるものを残したところで、しょせんゴミ。
ゴミさ。ゴミさ。ゴミさ〜〜(^o^) 

で、要するに形なんて下手にない方が、処分する手間が省けていいかもしれない。
《たとえば走ってあちこちいくマラニックも、むしろお金だけを使ってゴミも出さず、
煙も出さず(出すのは汗くさい体臭くらい?)、消費するのは自分の中のエネルギーだけ・・・
・・・おお理想的じゃないか!!とさえ思えますよね。 かっはっは〜〜》

先日、冬季オリンピックで荒川静香がイナバウワーという採点の対象にならない技を
滑りに取り入れたことが話題になった。 結果として点取り主義でなかったことが自分を美しく見せ、
メダルをとれたわけだ。 つまりメダルが取れようがとれまいが、点取り主義でなく
自分の思うがまま自分の滑りを作っていったことが評価された・・・
「評価された」なんて偉そうにいわなくても要するに、そのことがカッコイイ!!じゃないか〜。

そこで、ほいっと管理人らのマラニックに話を戻そう(我田引水しやすそうになってきたからね〜)。

そそ、このイナバウワーのように(人生の)点数に関係なく(つまり点=形と考えれば、
形があるかどうかにこだわらないで)、自分がやりたくてやってきたという最も重要な点がありさえすれば、
それで十分なのではないだろうか?・・・と。 
むしろそのことの方がずっと重要で「評価される」のではないだろうか?

で、ながながとどうでもいい(?)ことを書いてきて、ふと思ったわけです。。。何でこんなことを
ぐだぐだとこねくり回しているんだろう・・・?と。 実はそのこと自身が問題なのじゃないかな?と。
これについてはいずれまた。。。。



2006年3月21日

引っ越しやらその前後のどたばたで、すっかり走りの世界から遠ざかって過ごして
いました。。。で、昨日は久しぶりにマラニックをしました。
やたら風の強い日でした。日差しはつよく梅は満開ですが、空気は真冬です。

自宅を出て利根川の土手にでて・・・・うわ〜!!もうちょっとでも風に逆らって行こうものなら
まっすぐ進めません。しかもこの時期なのに、チョー冷たい冷たい風です。

で、1時間ほど行くと、あれれ? なにやら川幅が小さい。しかも風向きがおかしい。
景色も変だ〜〜〜???・・・よく見ると、なんといつの間にか支流に入って
さかのぼっているではないですか!! 今日は河口にむかていって
銚子まで走るつもりです。 いつの間にかぐるっと回って、成田の方へ逆戻り。
あはは、風に惑わされました。
でもこの調子では、とても川の土手は走り続けられません。
仕方なく県道へ。。。車を気にしながら走るのはかないません。。排気ガスもくさい。。。
(このあたりですでにかなりめげてきています。もう今日はやめて帰ろうか・・・と)

しばらく行くと比較的大きな観音様のお寺を発見。。。立派な山門もあります。
新しい土地ではこういう楽しみがあります。でもあまりゆっくりできない。ちょっと立ち止まって
みているだけで、体の芯まで冷えてきます。
佐原をすぎてさらに延々と風の中を走って、夕方の日がかげってやっと銚子につきました。
走りながらつらつら思いました。。いったい何をやってるのだろう。。。こうやって人生の
時間を費やしている。。いいことなのか、そうじゃないのか、創造的なのか無駄なのか・・と。
確かに形あるものは何も残らない。
(すみません・・・眠くなってきました・・・続きは明日)




2006年3月3日

今日はもうおひな様の日です〜。
あの凍てついた日々が嘘のよう。。。多少寒い日はあっても、顔はもう痛くない。耳も
被わなくてよい。毛糸の帽子なんか被ってたら汗かいてしまう。
いや〜、春ですね〜〜。 春分の日がもう目の前。 それを過ぎると日の方が
夜より長くなる・・・・。 この上もなくうれしい。
ところがもう春だというのに、管理人はまったくマラニックをしていません。昨年はもう3回は
どこかにいってます。 ま、こういう年もあるのでしょう。。。と慰める。

ところで昨年の初秋、ネットサーフィンをしていると
「ふじたさん」のHPにいい言葉をみつけました。 トライアスリートの言葉だそうです。

I've trained (いっぱいトレーニングしてきた)
I've sacrificed (たっぷり犠牲を払ってきた)
I've suffered (これ以上なく苦んできた)
I'm ready for the best day of my life (そして今、人生最良の日に向けて準備できている)


そのころ管理人は、2005年のケイレンによる時間のなさに苦しんだ記憶がよみがえり、
不安に押しつぶされそう(でもないけど)な気分だったのです。
この言葉ほど苦しんだりトレーニングしたり犠牲を払ったりしてきたとは、
お世辞にもいえないかもしれない。 しかし勤めの合間をぬって限りある時間の中で、
できる限りのことはしてきたはずでした。 それでも不安からは
逃れられない。 その時、この言葉がどんなに勇気を与えてくれたか。

もちろんこの人生最良の日とは、スタートラインに立つ日のことだと解釈しました。
決してゴールではありません。 これだけのことをやってスタートラインに立てれば、それで十分
じゃないか〜・・・と思えたのでした。
折しも先日トリノオリンピックが終わりました。 日本のメダルが一個だけだったこと
を残念がる人(マスコミだけか?)もいるようです。 
でも世界で7位とか8位ですよ。 世界で!
それがどれほどのことか、どんなにすばらしいことか、これを読みにきて下さった方々に
説明する必要はないでしょう。
若い彼等もきっと思ったに違いない。 よくここまでやってこれた・・と。
このスタートラインに立てたことが、人生最良の日だと。




2006年 1月 23日

古い方のファイルが長くなりましたので、2006年よりこちらに書きます。

2006年の宮古島100km遠足も終わってしまいました。
宮古島へ行くのは初めて。 印象は、沖縄本島・石垣島や竹富島とはまた趣の違った
美しさというところです。 海は一番きれいだった。
あの海の美しさは、今まで行った世界のどこよりもきれいだった。それに島全体に
ゴミがない!!。 これはすばらしい。 きっと島民がみんなで気をつけてゴミを放置しないよう
に気をつけているのでしょうね。 えらい!
で、こちらを出るときはめっちゃ寒くて、乗っている電車のドアの開閉まで気になったのですが
宮古島の空港(バリ島そっくりのイメージ)に着くと、あっとおどろく夏!!じゃないか〜。
すぐにTシャツ一枚になりました。 でもあちらの人は寒いらしく、ウィンドブレーカを
着込んだりしてました。 それでも薄着でしたけどね・・・こちらとは比べものにならない。

さて、戻ってきて走るとちょっと驚きました。
疲れてるから走れないだろうって? いやいやその逆。 足が軽いのです。
そういえば昨年のスパルタの練習で走ったときも少し感じた気がします。 100kmくらいを
走ったあとの方が調子がいいのです。 これが250kmクラスとなるとダメージがしっかり
残って走れません。 身体は重く足はいうことを聞きにくい。 ところが100kmだと、逆に調子が
よくなる感覚がある。これは本当に不思議です。
実際に脂肪が減少して身体が軽くなるからそう感じるのか、筋肉がいい状態になるから
なのか、原因があるのか、あるいは単なる気のせいか? わかりません。
いずれにしても、南の島に移住するリタイア組が多いというのは、痛いほど解る
宮古島行きでした。 来年も行こうかな・・・