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2005年12月29日
今年の寒さは特別な気がします。 昼間〜夕方で、走ってこんなに顔が痛くなった
記憶はありません。 二十数年前にもかなり寒い年があって、風呂場のタイルがはがれ
落ちたことがありました。 その年は確か、布団から顔を出して寝ることが出来なかったほど
でした。 今年も同じ。寒くて顔を出せません。
ところで、走ると鼻水が出ますよね、みなさん。 この傾向は、ここ数年顕著な気がしませんか?
なんか変です。もともとアレルギーはありましたが、あちきは春先だけ出ます。ところがこの
数年は秋になったら即、鼻水タラタラという感じです。
ところで、気象衛星の画像を http://www.tenki.jp/him/index.html で見られるのはご存じ?
この画像のうち、「全球(赤外)」というのがあって、そこでは雲の動きが日本の南方の海を
中心にした全地球の半分で見られます。
それをじっと見ていると、日本の上空にやってくる空気はほとんどがインドの上空あたりから
中国の太平洋沿岸を通ってくるのが分かります。
中国の太平洋沿岸? もしかして現在、世界でもっとも石油製品をボーボーと
燃やしている場所ではないでしょうか? どんどん毎日毎日、膨大な量の石油が燃えて
煤煙と粉塵になって飛んでくる先に日本がある。。。。これで、鼻がムズムズ、鼻水タラタラ
にならないと思う方がどうかしてませんか? 鼻炎を杉のせいにしているのはいつも冷暖房
完備の病院の中にいて、天気がどうの空気の冷たさがどうの・・と知ったこっちゃない人なのかな?
ま、とにかく・・・どうやっても後数日で2006年になります。
来年もみなさんよろしくお願いします。
2005年11月25日
寒くなってきました。 夜は意を決して走り出す感じです。
出てしまえば、いつもの楽しい真っ暗なあぜ道なんですけどね・・・
昨日葉書が届きました。 表書きから想像がつきます。 喪中につき年末年始のご挨拶を
控えさせていただきま す・・という例の奴です。この時期いくつか必ず舞い込む歳なんですね。
ところが差出人に記憶がないのです。
大概は友人で、その親が死んだので・・と いう内容なのに・・。
そういうのはさもありなん。。。ですみます。。。済みますといっちゃ悪いですが・・
・・明日は我が身ですから。。。
で今回のは、出したのは友人の奥さんになっている。 あれれ??・・まさか!
昔一緒にハンググライダーをやっていた仲間が、7月に死んでいたのでした。
ほぼ一 緒にハングを始めて、いつも一緒に練習したりゲレンデで飛んだりしていました。
そのころの練習場所は東海村の海岸。 原発の裏手です。
海からの風が一定していて、10mほどの高さの砂山に乗り上げてきてうまく利用できる。
たまに落ちても砂地だから怪我がない。 ちょうどいい練習場所でした。
ゲレンデは足尾山。筑波山の北側に連なる山です。サーマルがいいと1500mくらいまで上昇
できたこともありました。
また同じくらいの時期にやめていました。 もっと続けたかったけど、どんどん進化する用具に
フトコロがついていかなかったのが最大の原因。
やめてもお互い年賀状は交換していました。 いわば同期生。 他の同期の仲間達と、
またそのうち会おうね〜といつも賀状に書いていたものでした。
年齢はちょっと先輩の64歳。
ハンググライダーは、その共有する時間に単に苦楽をともにしたというだけでなく、
同じ生死を かけた時間をもったという独特の仲間意識があるのです。。。ウルトラマラソン
もちょっと似たところがあります。。とくに250kmクラスの厳しい大会になると似た感じがありますね。
それにしても64歳じゃ、早すぎるではありませんか。。。これからやんか〜、これから。
また心の中の一隅にポコっと穴が 空いた気分です。
これからこうして心のあちこちに、穴がどんどん空いていくのでしょうね。
「バカなことをせずに生きる者は、自分で考えるほど賢くない」(ラ・ロシェフーコー)
バカといわれようと何だろうと、やりたいことをやらずしてあっちゃへ行きませんよ〜だ。
2005年11月9日
で、もう冬です。栃木ではもう夜はウインドブレーカが必要なくらいです。
去年の記録をみるとやはりこの時期あまり走っていない。気候条件だけでなく気力も関係している
のでしょう。。。これだからスパルタにいつまでも入れ込んでいたくない・・・という
のは精進しないための言い訳かな?
先人によると・・・”他人が自分より優れていたとしても恥ではない。 去年の自分より
今年の自分が優れていないのは恥だ。(ラポック)” という。
”そんなに鞭を打たんでくれよ〜” と怠け者のあちきは思うのだ。そして「歳」という
かっこうの言い訳を持ち出したくなる自分がちょっと恥ずかしくなる。
ジョージフォアマンというヘビー級のボクサーが40歳間近でカムバックし、
45歳でチャンピオンに再びなったときの言葉があります。
「夢を見ることが出来るものは、なんでも出来るということを教えてやる」
そうか・・・これだこれ。今のあちきには夢がない。
ま、悩んでいてもしょうがないのでちょっと走って夢を探してきますわ〜〜。 ほなまたな〜。
2005年9月6日
早9月です。スパルタまでもう一ヶ月をとうに切っている。 もうすぐあの暑く長くつらく楽しい
海岸やオリーブ畑や古代の遺跡や農村や山を走れるかと思うと、嬉しくもあり不安でもあります。
ま、ともかく放っておいても時間は経つし、あれれ明日はもう成田へ行く日ということにすぐなる。
今年のスパルタはどうなりますやら・・・。 どうせ人生はなるようになるし、なるようにしかならない。
8月21日は、念願の今市ー大笹牧場ー黒部ー土呂部ー田代山林道ー湯ノ花温泉ー舘岩村ー会津高原駅
のコースに行って来ました。いつもは舘岩村から、高杖スキー場入り口で時間切れとなって
バスに乗ってしまうのですが、今回は何が何でも駅までいくぞ〜という心構えが効いて
最後まで走れました。やっぱり途中でやめないと、気持ちがいいものです。いつもはクマがでそうな
田代山林道も、工事関係車両や人でいっぱいでした。
で、9月3日の土曜日は、スパルタまでの最後の長距離練習で自宅ー益子ー茂木ー
御前山ー常陸大宮ー常陸太田ー久慈川河口と走りました。出るのが予定より1時間遅くて
6時10分。JR東海駅に着いたのが午後9時10分前。昼間あまりに暑くて、のろのろとしか進めなかった
のが遅くなった最大の原因です。
で、東海駅から水戸までは常磐線なのでいけます。その後が問題。
水戸ー小山間がローカルなので、最終は下館止まり。下館までいっても、自宅までは帰れません。
ということで仕方ない、むかし旅がらすさんから聞いた方法・・24時間営業のファミレスで夜を明かす・・・
というのを実行することになりました。本当は健康ランドが、お風呂にも入れていいのですが、
水戸駅周辺にはありません。ファミレスを見つけて禁煙席を指定すると、ラッキーなことにベンチシート。
夕食を食ってドリンクバーでコーヒーをチビチビ。
あとは冷房対策です。走り終わっての着替えはぺらぺらの半ズボンとスケスケのTシャツ。
すぐに身体の芯まで涼し〜くなります。。。そうそう雨具代わりにいつももってるビニール袋。 ファミレス
の中だろうと知ったことか。。。文句あるなら冷房止めりゃいいだろが〜と着込みました。
あとは朝までごろり。 ほかに同類の若者が2人ほどいました。
なんとなく斜めに見ている店員のオネ〜チャンを尻目に、ホームレス親父でした。
かっはっは〜のマラニック顛末でした。
2005年7月13日
ウルトラランニングだけでなく、一般に「運動」とは何か?
という問いに答えることは、相当難しい。 仮にこうだという安直な答えがあったとしても、
それに従う必要は全くない。
なぜかというと、なにも運動したいと思わない人は運動しなくていいからだ。
美食を追求し太りたい人は、食いまくって太ればよいのだ。
生活習慣病を患い、早死にしてもかまわないというなら、誰が文句をつけようか! 好きにすればよい。
もちろんウルトラランニングに至っては、誰にも必要でないといえば必要ない。
超のつく長距離を走るために、日夜訓練を繰り返し、努力を積み重ね、次の計画をたて、
食物を考え制限する・・(あまり制限してないけど)。
そんなことにどんな意味があるというのだろう? 意味はない!?というのが正しいかもしれない。
このことに関する答えは、なかなか見つからなかった。 自分なりにはあったのだが、適当な
言葉にして表現できなかったまま、放置してあったのだ。。。。で、さて・・・
さるダイエットのための本の最後に書いてあったことがある。
『なぜ太ったブタではいけないのでしょうか?・・・この問いに対する答えは、じつはきわめて
哲学的なものだと私は考えています。・・・略・・・村上春樹氏は「・・・自分の身体をある程度
きちんと把握して、方向性を定めて自己管理していくしかない・・・・そこには
一つのシステムなり哲学なりが必要とされる」 と』。
要するに自分の身体のコントロールやボディビルディング(身体つくり)は、その人の
生きざまそのものであり、人生の哲学が現れるものでなければならないわけです。
運動そのもの=スポーツの技術は、それぞれの道の達人やプロが教えればよい。
しかしその運動=スポーツが自分にとってどういう意味があるのか、いかなる方向付けをして
推し進めていくべきなのかは、各人が自らの哲学で考えるしかないものであり、
それがなければ長く続くものではない可能性が高い。 思いつきや衝動が長く続くわけがないのだから。
単にゲーム性を追求するだけだったり、スリムになりたいという運動の外にある
ことが目的であれば、美食をしてブタになる人と何ら変わるものではない。
ゲームはテレビでやればよく、 スリムになりたきゃ、食わなきゃいい。不健康であっても間違った
方法であっても、やせりゃいいのさ・・・と。
自分を厳しく?律し、日夜前を向いて精進し、あらゆることを自分の哲学の内にコントロール
してゆく。 そのことこそが「運動」として教えられるべき、内容ではないのだろうか?
(なんだかエラソ〜な本日でした・・・かっはっは〜(^o^)
2005年7月2日
このところ掲示板の書き込みが変です。
もし送ったのに書き込めないと言われる方がありましたら、少しお待ちください。
現在、問い合わせ中です。申し訳ありません。
2005年5月23日
栃木の畑にはビール工場の依頼でしょうか・・麦が植えられています。
この時期になるとすこし麦が色づき始め、広い麦畑に黄緑の波がゆらめきます。
麦秋というのだそうで、初夏の季語だそうです。 秋には「収穫」という意味が込められているらしい
ですね。
そういえば麦を食ってないな・・・いつも銀シャリをガツガツと食ってしまいます。へへへ。
さて話は突如変わりますけど・・・どう考えてもあちきは普通の人間です。 スポーツ
は何でも好きだけど、特別優れているのではない。 どうしても二流どころから抜け出ません。
それがどういうわけか、ウルトラランニングという何だか変態じみた(?)ちょっと普通の人
がやらないことを始めて、どっぷり浸かってしまったわけです。
日ごろ走るときは、楽しさを求めて走っているときもあるし、景色を求めてる、場合によっては
練習しなくっちゃ〜〜と強迫観念で走っている。 大会になると否が応でも痛み・つらさと
向き合ってひたすら走る。
なぜ走るのか・何のために走るのか?といったことには、このHPのあちこちで書いて
いる通りなのです。でもそれは、「よ〜し、では考えるぞ〜」と思って、無理やりひねり出した(?)
自分の想いです。日ごろからそんなことばかり考えて走っているわけではないですよ。。
要するに好きだから走っている。
で・・・・・
先日、ある人とちょっとした議論になって、人が死ぬ直前の話になりました。
で、僕は今やっていること(身体を異常に強くすること)も、死ぬ前の非力な状況を少しでも短くしたい・・
・・・・つまり死に際してのわずかな時間を、本人にも「自覚すらできないほど短い瞬間」に
したいものだと願ってそのための努力として走ることをやっていると、言えなくないといいました。
でもよく考えてみるとPPK(ピンピンコロリ)は、なってみないとわからないわけです。
つまり今やっているウルトラランニングが、本当にそのための努力であるかどうか、誰にもわからない。
もしかすると、身体や心肺機能が強くなるだけで、かえって頭がぼけてもからだだけ丈夫で
徘徊老人になってしまって周囲に迷惑をかけるばかりかもしれないのです。
じゃ、PPKのための努力は何もしなくていいのか?・・というと周囲にはそうでない(つまり
PPKでない)状況が一杯あって、その直接的な理由を考えると、やはり運動不足という月並み
なところにいってしまう。 どうでしょう? だれか確実にPPKになる方法をご存知の方
教えていただけませんでしょうかね?・・・もっとも教えていただいたからといって、ウルトラ
ランニングをやめるつもりはありませんけどね。。。
2005年5月7日
萩往還250kmも終わってしまいました。
今年は去年と大違い。カンカンのいい天気。初日の夜は放射冷却で多少冷えました。あとは
暑くなく寒くなく、最高のコンディション。皆さん成績がよかったようです。
あちきは40:01’30”でした。40時間切れの可能性に気がついた地点が作並を過ぎてかなり
たってからでした。それから必死に走ったけれど間に合わず。。。虎が崎で30分寝たのを皮切りに
それ以降何ヶ所も10分、20分と寝てしまったのが悔やまれます。。。宿題かな〜?
足のカックン病は直前までの必死のマッサージに、大きなエイドごとの湿布の貼り替えで
どうやら持ってくれました。 時折、膝関節の外側にピリリとした感覚が走ると、冷や汗がでました。
今日、友人と話したところでは、もしかすると坐骨神経痛の症状かも知れない・・・ということで
しばらく気をつけたいと思います。
今回、眼鏡をわずらわしいからと持っていかなかった(サングラスだけ)のですが、そのせいか
やたら幻覚(錯覚)が見えました。 人が立っていたり子供がいたりして、あれ?っと思って見直す
と、旗であったり杭であったり丸太だったり何もなかったりする。 でも一度だけ
山の中で道端のお墓らしいところに立っている白い服の女性が見えた時は、あまりにもリアル
だったので”あれれ〜?”と思わず声を出してしまいました。 そのとたん、その女性
は向こう側へ腰をかがめたのまで見えました。 しばらくそのまま走って、あれは何だった
んだろう・・・?と考えて、背筋が寒くなってしまいました。。。ははは。
ま、ともかく楽しい楽しい萩往還250kmでした。
2005年4月18日
昨日は萩往還までの最後の長距離練習と思って、マラニックに出ました。
出たとたんに、今日は調子悪い・・・いつもの言い訳ではなく(?)・・・なんだかなぁ。
ちゃんとトイレも済まして出たのに。 1時間走ったコンビニでトイレ。・・大下りではありませんか〜。
ま、それくらいでは走れないわけでないので、無視して行きます。
鬼怒川を横切って、先ほどのコンビニで買ってきたアンパンを食っていますと
遠くの空に、なんだか大きな鳥・・しかもシロクロのツートンカラー。
おお、もしかしてコウノトリ??・・・可能性は大です。。すばらしい、こんなところで
コウノトリに会えるなんて。。。でも本当かなぁ・・・眼を疑いました。大きさといい、色といい
コウノトリでしょうね・・・
もうしばらく走って、真岡の運動公園を過ぎたあたりで、急に左の膝にカックンとくる感じ。
もっもっもしかして、これは若潮のリタイアの原因となった痛みと感覚か?・・・としばらく
気にしていきました。案の定、それから5キロも行かないうちに本格的な痛みと
強烈なカックン。
痛みなら我慢をすれば済むことですが、カックンはコケそうになります。痛みに関節
が耐えなくて、体重を支えない結果グニャと曲がってしまうのが、起きていることのようです。
たいていの痛みや故障はそのまま行ってしまえるものですが、このカックンはどうもいけません。
歩きをいれて回復させまたゆっくり走り・・・とだましますが、これでは練習になりません。
結局全部で50キロも走ったところで、あきらめて駅の方向へ・・・。
萩往還、大丈夫かな・・・と不安になってきました・・・今回は行きも帰りも
夜行バスで宿泊・余裕は一切なしという計画なので・・・(ま、そういう不安はいつも
つきものですけどね・・・)
ついでに先日の話・・・
先日、那須の三本槍にスキー登山に行きました。
雪がある間に・・・最後のチャンスと出かけたのでした。。。
那須湯元から有料道路を少し行くとマウントジーンズスキー場があります。 で、ほいとスキー場の方を
見上げると、何とまだゴンドラが動いているではありませんか〜〜。 しめしめ、楽ができます。。
スキー場には数十名のスキーヤーやボーダーが、まだすべりに来ています。
今年は雪があるので特別にシーズンを延ばしたのだそうです。下から全部歩かなきゃ・・・
と思っていたので、ラッキーというやつです。
で、ゴンドラを降りて約1.5時間歩いたところで、細い尾根に出ると雪がない。そこに
スキーをデポして、あと1時間ほど歩きました。尾根が広くなるとまだやはり雪があります。
でももうスキーは不要です。。。。というより使えるほどの雪ではない。
時々、雪のやわらかいところで落とし穴に落ちたように、ズボっと足を
とられて一人で大笑い。一歩だけならいいのですが、3歩くらい連続して穴に落ちると
笑いこっちゃありません。ストックだけもっていったのは大正解。 ヒーヒーいって
這い出す感じです。 山は静かで誰もいません。 こけようが穴に落ちようが、
一人で笑っていればそれまでです・・・あははのは〜。 3本槍の頂上に着くと、ようやく4〜5人の
おっさん達が昼飯を食っていました。
帰りにはあと3名の登山者。 会ったのはそれだけ。
デポしたスキーに戻り着いて、滑り出したらもうあっという間にスキー場まで来てしまい
ました。 雪の状態は悪いけれどもグシャグシャに腐っているわけでなく、
何とか滑り降りることができました。 スキー場では余った時間で、テレマークの
練習。 しかしアキマセン。 テレマークは難しい・・・板のせいか、靴のせいか・・・
と色々考えましたが・・・やっぱり技術のせいでしょう・・・反省。
2005年3月29日
掲示板にも書きましたが、27日はマラニックでした。
自宅を出て風向きを考えて南に向かいました・・またしてもこれが裏目。まだまだこの時期
は風下に向かいたいですよね・・・。しかも強いのがビュービュー吹きました。
5キロもいかないうちに、南の空がすごい色。黄色と黒の混ざった泥のような空。
これは一体なんじゃらほい?
この時期、中国から黄砂が飛んできます。空がかすみにかかったようになり、
普通のかすみでなく黄色味かかっているのが特徴ですよね。。。
黄砂にしては、黒っぽい。しかも濃い。もしかすると・・・
と30キロほど先の遊水地を考えました。。。で、やはり当たりというわけです。
遊水地につくと、もう火は山場を越してほとんど終わり。当たり一面、真っ黒こげです。
葦の原だけでなく、河川敷のゴルフ場の芝まで焦げています・・・。
ゴルフ場の管理の人はあわてたでしょうね。。消火が間に合わないなら、こちら側から
火を放てばよかったのに・・・大昔、読んだことがありました。ヤマトタケルだったか(非常に
記憶があいまいです)、敵に葦の原で囲まれて、相手が葦に火を放って火責めにしてきた
のを、こちらからも火を放って助かった・・とかいうのでしたね・・・・
ま、そんなことを思いながら長い長い堤防を走って、渡良瀬川から利根川を越え
東武線の栗橋駅まででおしまい。
まだ時間もありましたが、これより南は家ばかりなので楽しくない。。。萩までに
もう一度くらいマラニックしないと・・・と思っています。
2005年3月22日
やっぱり何もしないと、ここに書くことがないですね。。。カウンターの上がり具合から
して、ずいぶんな人達が訪問して下さってるのがわかるのに、申し訳ないです。
で〜〜〜〜ぇ、昨日はやっと今年初めてのマラニックをしてきました。
自宅をでて、風向きを考えて東へ・・・(これが裏目でしたが)いつもの真岡を経て
岩瀬、笠間・・・水戸まであと2駅の内原駅まで。65キロくらいかな?あとは
最寄の石橋駅から自宅まで5キロ追加。 お日様は強いのですが風は相変わらず冷たく、ちょっと
立ち止まると体が冷えて、鼻炎のくしゃみ連発。
対向車の中では実に多くの人がマスクをしています。 笑ってしまったのは、
あるお年寄りのグループ。乗用車に5人ぎっちり乗っていて、全員がマスクをしてこちらを
向いて走ってこられる。。なんだか異様な光景でしたね。。。人のこと笑ってられる身じゃない
んですけどね・・・
もう畑には麦が緑のじゅうたんになっていて、どこの梅も満開。 風だけが
やたら冷たくて・・・・もう少しいけば水戸なんだけど、夕方の風が身にしみてきました
ので、めげました。 早く暑くなってくれんかなぁ・・・
内原駅の少し手前に「完全寺」というすごい名前のお寺があったので、寄り道。
なにしろパーフェクトなんだからすごいお寺かと思ったら、高台に本堂がぽつん
とあるだけでした。。。でも、本堂の前にはすばらしい「完全な」かたちの
枝垂桜がありました。花をつけると、すばらしいだろうなぁ・・・と思わせるものでした。
2005年2月28日
あれれ、光の春はもうおしまい。
明日から音の春です。。。ほんとかなぁ〜・・まだ寒い。。。光の春とかいうのはロシア語
だそうですね。 ロシアの人々は、こんな日本よりずっとずっと春を待ちこがれていて
雪解けの水音に言い表せない喜びを感じるのでしょうね。
さて、このところ走りは全然あきません。2月はとうとう300kmに達しなかったかも・・・と
いうくらいです。
それにはちょっと理由があります。。。1月31日の若潮マラソンの時に初めて
あった左足の骨折部分の異常感。 実はまだ続いています。
で、いまでもたった20キロほど走ると、カクンとなります。 今夜も22キロほどの
コースを走ってきたのですが、最後の方は痛みとカクンカクンで走れません。
キロ7分程度に周期的に落として、回復を待って走り、またカクンが始まると
スピードを落とすという感じです。
何だかおかしい・・・全身的におかしい。。。今日は両手の親指がしびれる感じも
ありました。。。なんだかなぁ・・・みなさん、長いランニング人生にはこういう
こともあるんでしょうね〜〜どなたか経験のある方、掲示板に書いてください。
そうそ、私は今年も萩往還に出ます。 ネイチャーは申し込みませんでした。
山口でお会いできる方、よろしくお願いします。。。。走れるように回復できるか
心配なんですけどね・・・実は。
2005年1月31日
昨日は館山・若潮マラソンでした。
例年になく参加者は少ない感じでした。勝田と重なったからでしょう。
で、私の結果は・・・ひどかった。。。実は、フルマラソンでは初のリタイアをしてしまった。
数日前から寒気がひどくて、たぶん体調がものすごく悪かったのだろうと
・・・とまぁ、言い訳はいっぱいあります。 結果は半分の21kmでリタイアでした。
最初の 4 キロで、追い風が強いので風に押されてスピードを上げて、ほいほいと
いったつもりが、時計を見るとキロ 5 分かかってる。・・・あれれ?
そんなはずはない・・・とその先をまた少しペースを上げたのに、 10 キロ 15
キロと、どうしても 5 分ペースから上がらない。。。フラワーラインに差し掛かる前に、もう
かなり疲れを感じます。 こんなことはかつて一度もありません。
そうこうするうちに、左足の膝に痛みが発生。さらに昔、骨折したあたりがカクンカクンとなります。
足が踏ん張れないで、体重を支えずフニャ〜とこけそう。
そのうち右ひざもおかしくなってきた。。。疲れは全然ないのに、スピードを極
端に落とさないと走れない・・・。キロ6分くらいに落として、これなら走れるだろう・・
・・・とウルトラモードでの完走に目標を変えたのに、それでもだめ。
練習のときを考えると、どんなに疲れていてもそれなりに走れる距離です。
この距離でこの感覚・・・何か異常が発生しているとしか思えない。
で、 18 キロで、キロ 7 分くらいまで下げてみて少し回復したところで
もう一度キロ6分で走ってみた。
それでも1キロも走ると、カクンカクンがでて膝の痛みもひどくなる。。
。。これはあかんわ〜・・・と観念しました。
て、 21 キロでやめました。
これでリタイアはウルトラを含めて3回目です。
いつも感じることは、リタイアする時は自分で納得してやるわけだけど、直後から
なんともいえない後悔と自責の念にかられるものです。
最後尾でもよれよれで倒れこむ感じでも、どんな状態でもいいから
やっぱり完走はしなくてはいかんなぁ・・・と。 自分の走りができないからと、あっさりリタイア
してしまうのは自分をものすごく甘やかした感覚が残るのです。
実際の走りを止めるときには、これはもうどうしようもないと感じてやめるのです。
痛みもひどいし体も全体的におかしい・正常じゃない・・・と。
しかし、それをほんの少し経ってから振り返っても、間違っていたな・・と感じるわけです。
これはいったいなんでしょう? ウルトラ屋だから異常に回復力があって
収容バスに乗るころには、すっかり回復しているからでしょうか?
このあたりは、みなさんどうなんでしょうね?ぜひ個人個人で異なるご意見を教えて
いただきたいです。
2005年1月20日
この冬は暖冬かと思っていたら、なんだかいつもの年より寒く感じますね。
ところで、・・・次のような思いをされた方はきっと多いと思います。
ランナーになってから、さまざまな場所のトイレにお世話になる機会が多くなりました。
公園・パチンコ屋さん・学校・公共施設・・・その他いろいろです。
で、どこのトイレに入っても、どうも首をかしげることが多いのです。特に公園のトイレあたりは
何をどう考えて作ったのかまったく変だというのが、随所にあります。
まず部屋の小ささやものの配置。
和式のトイレでしゃがむと頭を前の壁や配管にぶつけるものがけっこうあります。
もちろん後ろに下がるとよいはずです。ところが、そうするとお尻が便器から
はみ出してしまい、落下物がどこに行くか想像できますよね。 トイレの設計者や、
工事をした人がしゃがんでみたとは到底思えない。
次に、洋式のものの欠点。
これも同様で、何とか座ることができても前にかがめないものがある。
用は足せるものの、事後処理ができません。まったく見えない状態で事後処理しなければ
ならないわけです。
次に共通していえることに、ロール紙の位置です。
これがまたなんとも厄介な位置にあることが多くありませんか?
中には便器に座ると紙が後ろの壁になることもある。
いったいどうやって紙を取れというのでしょう?
横の壁についているのも、実に多い(わが職場にも)。 で、この場合
手元に紙を取り出している途中で、
蓋のギザギザに触れて切れてしまう場合がよくあるではありませんか?
紙で処理をすることが習慣となっていない国なら、仕方ありません。
旅行者用のホテルでも、かなり変なのが多いのですがあきらめるしかありません。
でもここは日本です。何千年も前から?やってきてることです。
設計者や工事関係者は、不便だと感じないのでしょうか?それとも
そんなことは使用者が努力するべきことだとでも、考えているのでしょうか?
いや〜〜、年の初めからけったいな話になってしまいました。。。(^o^) (赤面のつもり)
ともかく、今年もよろしくお願いします。
12月31日
今日は雪です。午後から本格的に降っています。
雪景色を見るのは好きなのですが、どうもこの湿っぽさが好きになりません。乾燥していれば
寒さそのものはまだ耐えられる気がします。
冬山に行っていた学生時代でも、この湿っぽさのおかげで好きにはなれませんでした。
あの頃は、ワカンをはいてのラッセルでした。腰くらいまでの雪だと、斜面を登る際には胸あたり
までの深さになります。で、超大型キスリングザック (なにしろ最後のタッシュ=ポケットに
1斗缶がすっぽり入りました。1斗缶の食料を左右に2個入れて、中央には米軍払い下げの死臭
のするシェラフや個人装備、さらに大きな鍋やザイルなんかを入れたものです)を背負っている
ので、両手にストックを持ってバランスをとってもラッセルなんかできません。
で、トップのものは自分のザックをそこにおいて、空身になって必死にラッセルしてドーっと登ります。
疲れたら、そこで交代。次の者がまた荷物をそこにおいて、空身でラッセル。
交代したら、ザックを置いた位置まで下って行って荷物を背負って、必死に登って皆に
追いつきます。これを繰り返す。。。ま〜、ようあんなことをやったものです。
いまでもあんなラッセルをやりながら厳冬期の北アルプスを登っている若者達がいるのでしょうか?
ところであの死臭のするシェラフ。あれは米軍が朝鮮戦争で犠牲者となった兵隊の死体を
本国へ運ぶために中にいれていったん日本に持ってきたもの・・・という噂でしたが、本当なので
しょうか? われわれはチョー貧乏で、とても羽毛のいいシェラフなんか買えなかったので、
形だけでも羽毛を使っている米軍払い下げのシェラフはありがたいものでした。
外側の生地がすごいボロで、防水性がゼロでした。でシェラフカバーをして外からの水は防げるのですが
今のようにゴアテックスなんてありません。 朝起きるとシェラフカバーの内側に、
身体から出た湿気が凍り付いてバリバリになっていたものでした。
今思えば、ああいう条件でどんどん登っていた人たちは、すごい根性をしていたのですね。
私は、どうひいき目に思い出しても、根性ナシのアカン奴でしたね。
ここには書きませんでしたが、今年の2月ごろ日光の湯の湖から、切り込湖刈り込湖
を回って光徳牧場に行くコースをスキーで歩きましたが、あれが久しぶりの
雪山でした。今年は雪が少なそうです。でもまたどこかに最低1〜2度は雪と遊ぼうと
思います。さて、ではみなさん良いお年を!!
2004年12月9日
本屋さんに久しぶりに寄って「俺たちの老いじたく」という本を買ってきました。
まだ老いじたくなどと、とても思う歳ではないはずです。しかし著者の弘兼憲史は私と同じ歳。
ということで読んでみようという気になったのでした。
で、ゆっくり読んでみると、なるほと彼の言いたいことは良くわかる。
”我々は、今まで抱いてて来た価値観をもう捨ててしまう時期だ。そしてもっと明確に、「次」の本当に
自分がやりたいことをやるべきだ・・・好きに生きよう・・・”と。。。
私がちょうど50になりかかる時期に思い始めたこととまったく同じ。
たしかに同世代(団塊の世代)の中のごくごく一部は勝ち組で(そんなのは放っておけば
いい)またごくごく一部は負け組みで(本当にいるのかどうか知らないが)、それ以外の
圧倒的多数は負けでも勝ちでもない者だ。
その大多数にとっては、もう「会社・地位・権力・お金」などという拠って立つべき物でもないものに
発想の中心を置いておくのはもうやめよう。。。我々が若かった頃、一人暮らしの部屋には
机(コタツ)が一つとライトが一個、ラジオが一台、鍋が一個、電熱が一個、寝具が一組・・・それで十分
毎日のすべてが輝いていた(ような気がする)。
今はどうだ? 物はいっぱいあふれてる。捨てても捨てても湧いてくる。ほしい物は
倉庫業のようなDIY店にいけばいくらでもある。 欲しいものを買えば買うほど、豊かにはならない。
もっといいものが目に入る。 だからちっとも生活は輝かない。
老後の生活は不安充満。年金も何も当てにならない。
それは何もかも、価値観をそのままにしているからだ・・・。その価値観をそのままに、もっと豊かに
時間をたっぷり・すべてに不自由しない・・・そんな老後は思い浮かべる方がどうかしている。
まだ読み終わったのではないので、続きはまた次回に。
2004年11月28日
あれま〜〜もう今年もあと一ヶ月 (去年も同じような台詞を書いた記憶が・・・)。
で、昨年の記録をみると、同じ時期にやはりちょっと気抜けしています。
何が原因なんでしょう? 夕方5時にはもう暗くなっていますが、それが原因かも・・・と
いう気もします。少し疲労感があると、5時でまだ明々としているか(暑いけど)、寒そうで暗いかというのは
走るかどうか決めるのに大きな要因になる気がしますね。
ようするに、私は怠け者なんですね。。。走り始めの数年間は、そんなこと考えた
ことない気がしますけど・・・何も考えず即、走りに出てた。
ということで、昨日(27日)走りに行きました。たまにはアップダウンを・・・と思って、栃木市の大平山
下の駐車場(錦着山の裏)に車を置いて、大平山にまず登り
林道を下ってブドウ団地へ。西に向かってミカモ山まで平地を行って、帰りは
ミカモ山の尾根をもどりいったん降りて、コンビニで食事。続けて馬入らず山に登って
尾根伝いに大平山まで・・・というコースを行きました。山道は落ち葉が積もって
気持ちいい。ときどき落ち葉に隠れた切り株に足をとられてドターとこけるのが
またいい!なんてね〜(TT)
しかしこのところの怠け病がたたって(?)相当ばてました。
人気がないのを幸いに、ちょっとしたピークに上るごとに膝に手をついてヒーハー
息をついてしまう感じです。
で、夕方は粟野のつつじの湯にいきました。満月を見ながらの露天風呂。これはええでっせ〜〜
ということで、今日は筋肉痛。。。こんなのでポノルルは走れるのかな?と心配。
2004年10月15日
今年のスパルタスロンも終わってしまいました。
結果からいえば必死の完走でした。最終的には34時間57分ほどでしたが、
内容はひどいものでサンガスの山までは、どこのエイドでも15分程度の余裕しかなく
テゲェアレアを過ぎてやっと何とかなりそうな気分でした。
そもそも60キロを過ぎるともうふくらはぎの筋肉がピリピリしだし、70キロを過ぎる
と下半身の筋肉の全体が順番に痙攣を繰り返すという、最悪の状態。
立ち止まっては足の各所をもみ、まただましだまし走るという状態で、81キロ地点
に到達したときは、余裕がほとんどなし!
そのごネメアの少し前あたりで、ようやく走れるようになるまで絶対絶命のピンチ
を繰り返しました。ネメア以降は何とか走れたものの、下半身のすべての部位
から強烈な痛みは消えず眠気も強く襲ってきて・・・・・
と言う具合でした。詳しくは今報告書を作成中です。
ともかく、実力不足を痛感しました。少し休みますが、もっともっと精進を
重ねるつもりでいます。新たな年の始まりです。
2004年7月20日
17日、18日に南アルプスの塩見岳に登ってきました。
南アの山は塩見から南部はぜんぜん知りません。連休にはカミさんもいないこと
なので、天気は
だめそうと知っていて、思い切って出かけました。案の定土砂降 りで、
寒いばかりの山行となりました。でもいってよかった。
記録: 17 日 530 鳥倉林道ゲートー 614 登山口ー 820 山伏峠ーテント張って昼寝ー
1040 出 発(水汲みと遊び)
ー 1110 烏帽子岳(ピストン)
18 日 620 三伏峠ー 756 塩見小屋ー 850 塩見頂上 (東峰)− 925 塩見小屋ー
1112 三伏峠 ー
1255 登山口ー 1326 鳥倉林道ゲート
16 日の深夜、鳥倉林道のゲート前についたときは、満天の星で感激。 松川インターからちょうど
1 時間弱。
鳥倉林道は嫌になるくらい長い。全線、舗装してある。よくもまぁこんな林道作ったものだ。。。
どうせ税金の無駄遣い。 といっても、やっぱり便利だから利用する。
カーナビなしだから鳥倉林道へ入るのは、 けっこう難しい(トホホ)。連休だから駐車場はほぼ満杯。
17 日:このコースはめちゃ楽。ちょうど登りだすあたりから雲行きがおかしく
なりだし、三伏峠に着くと、
もうほとんど雲の中。寝不足のためテントを張って すぐ昼寝。テント地は広いがすぐ一杯となった。
起きて暇なので烏帽子岳へ散歩。 すでにビュービューの風とガスで面白くなし。
女性一人で河内方面に縦走するの に会う。
18 日:昨夜から強風。テント地には影響ないが音がすごい。夜半から土砂降り。
朝になってもやまず。
迷うが、エイヤと覚悟を決めてテント撤収。サブザックに 食料と水だけもって、塩見往復。
結構人が歩いている。中年・熟年夫婦がやたら 多い。塩見小屋からは手袋がないと寒い(忘れた)。
頂上では一枚だけ写真を撮 って、退散。三伏からは荷物が重くなるが、意外と気にならない。
道はよく踏ま れていて歩きやすい。塩川林道からの登山道は、すっかりさびれている。
2004年7月5日
4日(日)に金峰山と小川山に登ってきました。
以前から(昨年甲武信岳に登って以来)いこういこうと思っていましたが、
ようやく昨日実現したわけです。
3 日、 19 時自宅出発。 24 時着。登山口は甲府側ではなく、
川上村側から入りました(佐久経由)。
川上村の手前では地図がいい加減で、何度か迷いました。カーナビなどという、便利なものは
持っていないのです。野辺山近くまでいってからの方が、道路が単純で(一本道)
入りやすいと帰りになってわかりました。
川上村の役場を過ぎて、秋山から右折。廻り目キャンプ場・金峰山荘まで。
ここまで車は入れるのですが、キャンプ場に入らないと車を止める
場所がないのです(ゲートがある)。ここで車中泊。
キャンプ場の駐車場は林道の脇と金峰山荘の上部にある。
キャンプには用がないので、林道に駐車。それでも翌日出るとき 600 円
とられる。ちょっとシャク。
林道を作る時は税金を使ったのだろうに、これじゃ林道の私物化やんかー
・・・ま、ともかく、金峰山だけ登るなら、キャンプ場より奥の方に行って駐車すると
静かだし駐車スペースあるので、よい。
4 日。快晴。5 : 30 出発。
林道にそって歩く。そのままいくと対岸に渡って自然に登山道になる。
その後は樹林帯の見通しの聞かない尾根を登る。で、突然、肩の小屋にポコっとでる。
小屋からは展望が利くので気持ちいい。もう少しで、頂上。
8 : 15 頂上着。頂上と同じ高さの岩(五丈岩)が面白い。富士山がきれい。
ミズガキ山が目の下。
結局、時間が余りすぎるので、尾根続きの小川山へ行くことにしました。
ところが、これがひどい道。あまり人が通らないらしく荒れ放題の感じです。
ブッシュの中の獣道に近い部分もある。もちろん展望はなしに等しい。ごくたまに
岩があって展望台になっている部分もある。
ちょっと危ない部分もある。巻き道をしっかり見つけないと、とんでもない岩
の上で途方にくれたりする・・(してしまった・・(^o^)・・間違いの道の方にケルンが
積んである=大日岩。なんてこった)。
金峰山から 4 時間ほどかかって小川山に到着( 12 : 00 着) 。。。頂上はハ
エが群れをなしてワンワン飛び回り、とてもゆっくりできない。展望なし。
少し戻った廻り目キャンプ場への分岐点の暗いところで、ようやく一休み。
ここから廻り目キャンプ場までの下りがまたよくない。 途中危ないところ・迷いやすい
ところがふんだんにある。楽しいといえば楽しい?
小川山頂上であった 5 人の人たちは二度と来たくない山だと。同感。
もっとも頂上には、小川山は山梨100名山の山だと看板あり。
いったいどいつがどんな基準で決めた100名山だ?・・顔を見たいよ。
( 14 : 20 廻り目キャンプ場着)
2004年6月14日
12-13日(土日)に、カモシカマラソンを走ってきました。
小田原から鍋割山、丹沢山、蛭が岳、焼山を経て西乃野、さらに相模湖畔に出て弁天橋から
また城山に登って小仏峠(ここまで薄曇りか曇り、山中ではガス)、下って高尾、八王子を経て
だんだん本降りになった雨の国道16号線を走り、深夜(明け方の)川越まで。
山では霧で幻想的なミルク瓶の中の走りでした。
焼山から西乃野の方へ降りたところで、靴に10匹以上のヒルがついてクネクネしているのには
驚きました。丹沢全体に蛭が多いのだそうですね。蛭が岳という名も、そこから来ているとか。
コースと走り具合は、予想通りの(つまり舘山さんのコース取りから考えて)感覚で、
楽しいものでした。走りということを考えれば、丹沢や秩父の山は実に適していると思います。
道は整備されているし(逆効果のところもあるが)、サポート体制もとりやすい。北アルプスでは
寒くなりすぎるし、南アルプスではでかすぎる・・・。
ところで、なぜこの濡れるとわかりきった時期に?と思う大会ですが、呼びかけ人の舘山さんの
曰く、「この雨の時期の山を楽しむ走り」という言葉に得心がいきました。
実は最近になって・・・というか5月の萩往還以来、雨の中を走るのもまんざらでもない
という感覚が強くするのです。もともと全天候性のスポーツばかりしてきたので、雨にはそれほど
嫌な感覚を持ってはいないのですが、やはり雨とわかりきっている山へ行くには躊躇する思い
がありました。今はその思いがかなり薄れています。まるで雨アレルギーが
とれた感覚です。濡れることを嫌がるより、雨による効果=独特の雰囲気や人気がなく静かで
あることなどをより一層楽しく感じようとする姿勢です。
ということで、今日・明日は心地よい筋肉痛を楽しめます。
2004年5月31日
29日の土曜日、ようやく久々のマラニックです。萩往還以来、ちょっと
疲れ気味で長距離に行く気になれませんでした。この間まともに走ったのは、股旅姿での
安政遠足の30kmだけ。
今回は、自宅からまずJRの石橋駅まで5kmほど走っていき、JRに乗って
西那須野まで。そこから走り出して塩原温泉ー日塩道路ー鬼怒川ー東武線で
帰宅というコースでした。65kmくらい。
西那須野から塩原温泉は、予想通りじわじわとした登り。交通量多い。日塩道路は、延々たる
坂の上りと下りでした。ちょうど天気は曇りで雨にはならず、涼しい風が吹いて
むしろ気持ちいい。日塩道路の最高地点のスキー場(ハンターマウンテンやエーデルワイズ)
あたりでは、春ゼミの声がうるさいほど聞こえました。
うーん、やっぱりマラニックはいい。車で走っている人たちには、想像もできない
世界がそこにある。坂を登るほどに木々の緑が黄緑の若葉になって、時折やってくる
風の心地よさ、鳥や春ゼミの声、道端に流れくる沢の水のおいしさ・・・
日塩道路の北側の山には、昔走った塩那林道のつづら折れが見えました。いやー、この
栃木近隣には、まだまだ走っていない道がいっぱいあって、楽しみです。
2004年5月7日
あれれ、なんともう5月の連休明けになってしまいました。
で、連休は今年は萩往還250kmでした。
皆さんご存知のように、初日からフィニッシュするまでアメ風アメ風アメでしたね〜。
その間、足はシューズのなかでスイミング。私の雨具は、雨具ではなくスキー用のポンチョ
なので、水は透過性満点・・・(^o^)・・・つまり身体もスイミング状態。
これでよく40数時間もちました。
みんなが感じたことですが、あれほど足底の皮膚がふやけてシワシワのものすごい
状態(まるでゾウの足)状態になるなんて。。。。なにしろマメができていることは
痛みからわかるのですが、つぶして水を抜こうとしても場所が特定できない
という程、変化しているわけです。
で、もっと不思議だったのは、ゴールして宿に帰り数時間寝たら、もう足底の皮膚が
かなり回復して普通の状態近くになっている。(このときになって
数えてみると大小あわせて片方だけで20個ちかいマメがありました)
たしかにちょっと調べてみると皮膚は水が過飽和になるとふやけやすく、あのような
状態になるのはいわば正常な反応です。だからこそ容易に回復しやすいのでしょう。
ただふやけた皮膚は機械的刺激に弱いので、マメができやすいことが問題です。
では、どうしたらこのふやけによるゾウ足状態を防げるか?ということになります。
四国のMさんが、走る前に足底から下腿後面にかけてテープを張っていて
そのせいか、ふやけによる被害が少なかった・・・とか話しておられました。
もしかするとこのあたりに、解決策があるかもしれません。
今度雨が降った日なんかに敢えて走ってみて(あまりやりたくないけど)試して
みましょうかね・・・・
2004年2月21日
今日は久しぶりに遠足をしました(マラニック)。
自宅を出て東に向かって走ります。石橋を過ぎて・・・ん?過ぎようとすると延命寺
というお寺のそばを通りました。
そのお寺に、七福神の布袋様が祭ってあると看板にあります。
おやおや、布袋様ですかー・・・私の実家の近くにある黄檗山万福寺に有名な布袋様が
いるのを思い出し、ちょっと寄り道です。。。こういうのがマラニックのいいところ。
こうして楽しみながら走ります。
境内から本堂らしい建物をのぞくと、いましたいました。いかにも幸せそうなお顔の布袋様が
鎮座されています。 お顔は黄檗山の布袋様とまったく同じ・・・あたり前か・・・。
ランナーは中身は幸せなんだけど、あんなふうにお腹が出ていませんね。。。。はは、喜ぶ
べきことか?
で、続けて東に向けて走り真岡を過ぎて岩瀬を過ぎて石切り場の峠を通って
50号を通り過ぎまた東進して笠間の駅まで。
もう笠間まで何回走ったかなぁ・・・数え切れません。 シーズン初めとしては軽めの
ちょうどいい練習コースです。帰りに石橋駅から自宅まで5キロほど走って、
全体で55キロくらいでしょうか・・・・。
紅梅が咲いていて、今日は特に暑くて着ていったウインドブレーカーにすっかり
塩を吹かせてしまいました。
2004年1月29日
昨日、久しぶりにビデオを借りてきて見ました。
遅まきながら、「ハリーポッター秘密の部屋」です。
内容はまるでメドゥーサの神話から借りてきた(まんま)、見るものを石にする
という蛇のお化けを退治するというものでした。。。皆さんご存知のとおり。
まーこんなものだと、のほほんと眺めていますと、最後に校長先生のせりふが
気に入りました。ほとんどの映画や小説で、作者は自分のいいたいことを
どこかにチョロっと役者に言わせるものです。今回のハリーポッターでは
多分この言葉でしょう。それは、「自分が何者かは、持っている能力ではなく
何を選択するかで決まる」というものでした。この言葉は映画の中では、
純粋なあるいは優秀な魔法使いの家系であるよりも、その魔法をどのように
使うかを選択することが人の価値を決めるのだという意味でした。
なかなかいい言葉ですね。人はたいていの場合、自分が何ができるか何が得意か
などで、自分の価値や未来を決めようとします。でも本当にそれが正しいか疑問です。
実は忘れている最も重要なことに、「自分が何を望むのか」があります。
それは今できることよりも、将来の自分の人生にとってもっと重要なことだと思います。
前にも書きましたが、人生の分岐点で何かにつけ選択しなければならない時に、
後悔しないように最も優先させるべきことは、何ができるかよりも何をしたいかでしょう。
それこそが結局は自分の評価になってゆくからです。
ところが今現在の日本の教育の姿は、何がしたいかよりも人よりも何ができるかで、すべての
人間の価値を決定していくというものではないでしょうか。
官僚が自分のコピーを造る教育を営々と築き上げ、またそれに乗って知らずに官僚への道を歩み
ほとんどの場合蹴落とされる。そこに貫かれているものは、この何ができるか
という「現在の能力」ただそれだけではないでしょうか。。。。もちろん現在の能力は重要だし、
それが基礎になってさまざまなことができるようになるという一面もありますが。
ハリーポッター、最後の言葉で考えさせられました。
2003年12月26日
うわーテーヘンやんかー・・・もう2003年が終わってまうがなー
前も書いたけど・・・歳をとりとうないのに、強制的に一個とらされてしまう
やんかー。・・・折りしも昨日テレビで南米のビルカバンバというところの
長寿村をやってましたね。
最高齢は137才のおじいさん。頭も口もはっきり。まだちゃんと仕事してる。
恐れ入りました。
最後に今井通子さんが、どうもそれは遺伝的なものであるようなことをいってましたね。
遺伝であれば、まー仕方ないかーとも思いますが、100歳くらいまでは
意志の力による要因がかなりあると私は思っています。
さて年齢の話はともかく、意志の力でいつかやるぞ・・と思っていることというのは、
とにかく思い続けると必ず実現するものなんだというのは、ウルトラ屋さんなら
皆さんうなづいてくれますよね。(このあたりの話の通じやすさという
のが、ウルトラ屋さんとそうでない人との大きな差異です)
私は学生のとき読んだ本に、そういうことをいってた人の言葉があって、
今も残っています。
それは初代の南極越冬隊長の西堀栄三郎氏の言葉でした。
西堀栄三郎氏は、学生のときに南極へ行きたいと思い、それが実現したのは
50歳を過ぎてからだったそうです。で、彼の言葉というのは、・・・
人生には
必ず何ヶ所かの分岐点がある。その分岐点でどの道を選ぶかは、
そのときに思い続けていることがあれば、それが少しでも実現する
可能性の高い方を選ぶはずだ。そうやって
分岐点に立つごとに可能性の高い方を選んでいけば、必ずどんなこともいつか実現する。
というものでした。
ふと我を振り返ってみれば、これでよかったのかな〜?と疑問符がつくの
ですが、まー何とかそんなことを考えて2004年も一歩一歩やっていこう
と思うのでごじゃりまするのぢぁ。
皆さんよいお年を。2004年もよろしくお願いします。
2003年12月6日
なんと、もう2003年もおしまいの月になってしまいました。
あかんがな・・・わけのわからないうちにまた一つ歳をとってしまうがなー。
ところで・・・
かなり以前のこと、映画を見ていると気に入った台詞が出てきましたんや。
それは、
「過去を変えるのは記憶であり、未来を変えるのは夢である」
というのでおました。以前にも少し書きましたね。
面白いのは、この台詞は悪役によるものだったんどっせ。 タイムマシンに乗って何とかして
恋人が死んだ事実を変更しようとする主人公に対して、悪役が放った警告でおましたなぁ。
しかし私はこれを、ものすごくすばらしい言葉だと感じたんどす。
過去はいくら拘泥したところで、単なる記憶としての価値しかおまへん。
またその過去にどんな汚点
や失点や悲しい事実や苦しい状況があろうと、すでに過ぎ去ったことであり脳細胞に
刻まれた記憶以上のものではあり得まへん。そう考えれば、
すでになんら自分を苦しめる「もの」では
おまへん。単なる自分の思いだけでしかない。
また逆にどんなに栄光や喜びや満足に満ちたものであっても、同様でんなぁ。
過去の栄光にすがっている人の愚かしさをみれば、明らかなこと。
もちろんすべての過去の経験が、無用だなどといってるのではありまへんよ。
有用なものをいかに残すか
ということは、きわめて重要な人生の方法でんねんから。 ま、とにかく・・・
ここに過去を変えるのは記憶であるという意味があると思ったんぢゃー。
一方、未来を変えるのは夢であるという台詞は、これまたすばらしい前向きな言葉どす。
もう言わずとも明らかで、その言葉のままぢゃな。
すべての未来を創っていくものは、その個人の持つ夢によっている。つまり夢を形成
できない人には、自分の未来を形成していくことはできないのぢゃ。 ただ食って寝て
歳をとって死んでゆくのみ。
自分の未来を変える夢をいかに持つか・・・これがすべての課題ぢゃー。
2003年11月11日
今日はようやく冬らしくなって冷たい雨の降る一日でした。
先日といっても、もう10日ほども前、東海アドベンチャートレイルという東海自然歩道を全線
走ろうという会に参加してきました。
今年は静岡県の谷沢から熊(くんま)までの122km。3日に分けて走ります
ので、比較的短いステージです。
一昨年の第一回大会に参加し、東京の高尾山から富士五湖の本栖湖まで
走ったときは、なかなか厳しくて暗いうちから真っ暗になるまで
息を抜けない山岳ランでした。しかも気温が低くて、テントの中でも氷が張ったくらいでした。
今年は逆に暖かく、長袖Tシャツでは暑いくらいでした。初日は曇りで山はガス。
二日目は上天気。三日目は雨。と、それぞれに3日間、ゆったりと楽しめました。
景色は、ごく普通の日本の山という感じの中を走るのですが、さすが静岡県
すぐにお茶畑に出ます。時には、お茶の木の合間を縫うようにして
走る部分もあったりして、やわらかい茶畑の土の感触とともにとても温かみのある道でした。
ところで、私は幼い頃、茶どころの宇治で育ちました。家の周囲は全部茶の木だらけ。
で、新緑の季節になると茶園にスダレとワラで覆いをかけます。遅霜による
新茶への被害を避けるためです。
今回の静岡には、茶園のあるところには必ず上方に電動のファンが何個も
取り付けてあります。あれは何でしょう? ・・・と走りながら考えました。
きっと、昔の覆いの代わりにあの電気ファンで暖かい空気を送り、霜を
つかせないためではないか・・・と気がつきました。
いかがでしょう? 誰か教えていただけませんか?
2003年10月20日
最近すっかり独り言をサボっています。
走る方も何となく、沈黙気味。
9月の14・15日に甲府→雁坂峠→秩父→川越の141kmの大会にでて、あとは
11月の初めに東海アドベンチャートレイルがあって、それで今年の
ウルトラはおしまい。
数年前に比べると、マラニックの練習がぜんぜん足りません。どういうわけ
か出かけようという気にならないのです。もう家からはどちらの方向
へ向かっても何度も出かけて飽きてきたというのもその一因でしょう。
だから一ヶ月の走行距離が伸びません。350kmを越えるのが大変に感じられるのですから
そのサボり具合も推して知るべしですね〜。
まーのんびり構えていれば、また意欲がわいてくるのでしょうか。。。
2003年9月10日
今年、世界一周ランが計画されていたことはご存知の方もおられるでしょう。残念ながら実施
されず、来年1月頃からロンドンー東京間のランとして改めて行われるそうです。
宿泊などの都合上、数名で行われるそうですが、一部の区間(モスクワー東京
間)に日本人がでるそうです。
条件の厳しさ、経済的理由などからサポートがなく、すべてを自分で持って
走ることになりそうだとか・・・。
すごいの一言ですねー。 どこまでもすべてがすごい。
中山嘉太郎さんがシルクロードを走られたのは、もう数年前。 次の夢を追う
人が身近にいるなんて、それだけでもすごい。
なにとぞクマやトラなんかに遭遇されず、無事全線を走りきられますよう
祈っております。
2003年8月14日
先日からTEの本の制作に入っています。
思えば昨年のRAAの本は、モミさん編集の貝畑三知さんのジョーシアの
木の下でだけ。ほかには個人的な記録がいくつかあるようですが、
RAA全体の何かを残そうとしたものはありません。
今回のトランス・ヨーロッパのものは、何とかして残しておきたいと思います。
レース経験者の一人一人の各人の準備・経験・レース中に考えた
さまざまなこと・費用・レース前後で何が変わったかなどなど・・・個性豊かな内容がきっと
多くあるに違いありません。本の形式にはいろいろあると思いますが、
今回は対談集という形で
出そうと思います。 参加者のみなさんの特徴をできるだけ生かしたいと思うからです。
もちろん未来への記録としての意味もあるし、今後このような大会に臨まれる人に
さまざまな面で役に立つと信じます。
一冊の価格は高くても2000円以下にとどめます。 どうみても多くは売れない
でしょうから、赤字は覚悟しています。
何とか年内に発行したいともう一人の編集人のモミさんと努力します。
これを読まれた方は、ぜひ買ってくださいね。
2003年7月27日
今日は岸上さんの音頭で、TEのお疲れさん会がありいってきました。
TEでお会いできた偉大な鉄人先輩の方々に再会できて、とても嬉しかったです。
そこでのお話は、やはり出席するに足る内容でした。
特に海宝さんの、「やはりカメさんが生き残る」という一言は身にしみました。
このカメさんというのは、単にジャーニーランを走ることにだけ有効な
言葉ではないと思います。
思えば我々は日ごろの人生で、どれほどカメさんたりうるでしょうか。
たとえば英単語を覚えるとしましょう。 覚えなければならないものを数十個も書き出して
うんうん言って何とか「覚えよう」とするではありませんか?
「うんうん言う」ことは、これはやっぱりウサギさんなんですね。 だからすぐに
コケる。 単に覚えないだけでなく、単語の勉強自体が嫌になる。
そして英語そのものからすら、遠ざかってしまったりする。 (もちろん単語は
フレーズで覚える・・・とか方法はありますが・・・無理に覚えようとする態度は同じことです)
カメさんたるというのは、ここで英単語を何とか覚えようとしないことを意味しま
せんか? 覚えようとするからコケるなら、覚えようとしなければいいのです。
もちろん勉強はします。 しかし決して頭に入れようとかモノにしようとか思わない。
そんな風にムチを一切ふるわないで、勉強する。。。。ちょっと例えがおかし
かったかな?・・・いやいやそんなことはないと信じます。
そうです、ちょうどスペイン語を勉強しようと思い始めていたので、ちょうどいい実験です。
このカメさん勉強で見事スペイン語をものにして見せましょう!!(なんて
いって大丈夫かなぁ・・・・(^^;;
2003年7月12日
トランス・ヨーロッパ・フットレースからもどりました。
詳細は改めて報告しますが、結果は無残なものでした。
走り出して9日目に、身体のほかの部分は疲れもなく快調そのものなのに、下腿の前部
・・・(ふくらはぎとは反対側の足の前面の筋肉と足首に近い部分の腱と周囲の骨膜)・・・
に急激に激しい炎症が生じ走れなくなりました。 走るどころか歩いても引きずり
移動にあまりに時間がかかるため、次の日から出発を断念せざるを得ませんでした。
こんな部分の故障は初めてであり、故障との付き合いに慣れているはずの
私にもどうすることもできませんでした。
その後、数日置いて痛みがわずかに減少してから走ったり途中で継続を断念したり
短い距離の日は何とかフィニッシュしたりを繰り返しました。しかし結局最後のモスクワまで
故障が直ることはありませんでした。
それでも1日に50kmくらいであれば毎日走れたのですが、
脱落者を拾っていく車やスタッフがないという、日本の大会では考えられない状況もあり
行ける所まで行こうと、とにかく出発するという事ができる状態ではありませんでした。
聞くところによると、この足の部分には外人・日本人を問わず
多くの選手が故障を生じたようで、
完走がかかっている選手の場合は相当苦労したようです。
さすがに昨年のRAA組は、経験からこのような故障を前もって避ける知恵が身について
いたようです。。。。それでもいろいろ故障はあったようですが、
皆さん本当に偉大なランナーで
うまく乗り越えられたようです。。。。SさんやTさんなどは肋骨にヒビが入った
状態でも走っておられたのには頭が下がりました。
まぁ、ともかくあのような長いジャーニーランには、他にはない独特の「技術」や精神がある
ということでしょう。 私自身のまだまだ至らない小ささを実感できた、いい経験でした
。
2003年5月20日
いよいよトランス・ヨーロッパ・フットレースに参加のため、24日に出発します。
参加といってもステージ参加です。 本隊はすでに4月19日に
ポルトガルのリスボンをスタート
して走っていることは、日本中のウルトラランナーの皆さんがご存知の通り。私の参加は、
28日のベルリン以降でモスクワまでです。 たった約2000kmほどだけです。
全線参加者は5000km以上走るという超人ばかりです。
持っていく荷物を、息子がオーストラリアで使っていたバックパッカー用のザック
につめてみました。背負ってみると、カミさんがげらげら笑います。
鏡の前に立ってみると、ははは、これはおかしい。まるでザックが歩いているようです。
厚さなんか、私のお腹の3倍もある。
でもまぁ、仕方ありません。トランクをガラガラやるのは、いろいろ考えて
今回はよくありません。背中に担いで歩ける点は、トランクに比較してずっと便利です。
とにかくこれで、フランクフルト経由でベルリンに入り、Lichtenradeというあたり(?・・
・・・あたりとしか分かっていない)で本隊が走って通るのを
何とかつかまえないといけません。うまく遭遇できないと、一大事です。
次の日はまだドイツ国内ですが、翌々日はポーランドに入ってしまいます。
まー、何とかなるでしょう。。。。(と思うしかないですね)。
TE-FRのHPの写真に私が登場するかもしれません。
お暇なら見てください。では行ってきます。
2003年5月1日
恒例の名古屋から金沢間を走るさくら道ウルトラマラソンに出てきました。
4月28日は快晴で急激に暑くなり夏のよう。 岐阜の白鳥から先のひるがの高原・分水嶺
あたりではまるで冬のよう(確か4度Cとの表示・・私の通過時)。29日にはものすごい
強風で、数あるトンネルから出るときに足をすくわれそう。最後のゴール直前には
雨がドドーと降ってきた・・・ということで、天気の方も総動員して楽しませてくれました。
もっとも走りの方は、ちょっと昨年の怪我の後遺症が思わぬほど残っていて
・・・それと怪我のための練習不足のため・・・だめでした。
あんなに歩いたのは初めて、というくらい連続して走れずに歩いてしまいました。
とくに県境から最後のゴールまで20kmほどは、ずぅぅぅーーーーと歩きっぱなし。
走るとそれほど感じないですが、その距離のなんと長いこと。
ゴールして思わず、
「なんて遠いんだ!!」
と叫んでしまいました。
去年までの元気はどこへやら、疲労の回復の兆しも見えないどころか、歩き自体
にまで疲れて金沢市内に入ってあと数キロという地点ですら、道端に座り込んで
足をさするという体たらくでした。
まー仕方ないとはいえ、こういうのは逆にすごくいい勉強になった気がします。
人のこと、自分の体のケア、靴の片減り対策(怪我以来、異常です)、練習量と方法
その他いろいろ・・・順調にすんなりいっていると感じないさまざまなことが、よくわかり
ました。詳しくは完走記に書きたいと思います。
2003年4月14日
もう前回からずいぶん経ちました。またマラニックです。この間は、例の大平山や
宇都宮森林公園の古賀志山あたりの林道を走って、お茶濁しをしていました。
昨日13日(日)は自宅から出て、粟野から粕尾峠を経て足尾(銅山で有名)までいって
その後は足に任せていけるところまで・・・できれば温泉つきの駅まで・・・と計画だけは
立派でした。 このコースは何度か走った経験があるので、楽のはず・・・。
ところが昨日は急な暑さにちょっとした疲れの溜まり(原因はスキーツアー)
のせいで、足が動きません。粟野過ぎまでは何とかなったものの
粕尾峠への上り近くになると、キロ9分を維持するのが精一杯。。。と言い訳ばかりです。
で、結局足尾の先の原向(はらむこう)という渡良瀬渓谷鉄道の駅で
ヤーメタということになりました。64kmくらい。10時間近くかかってしまいました。
近頃、最低のしんどいマラニックでした。反省
!
2003年3月23日
3月21日。またマラニックです。
今回は2週間前、強風でやめた茂木から20km弱行った烏山町まで行くことにしました。
今日はなんだか体が軽く動く気がします。昨夜20km走って疲れているはずなのに・・
まぁ、それは文句を言うべきことではな〜い。喜んでトコトコ行きます。
前回は、梅が咲いているのを見つけて喜んだのでした。今回は、周囲の田畑に緑の
草がいっぱいです。小さい野草の花も、陽だまりに咲いています。
コンビニでパンとヨーグルトを買いました。 店の横のビール瓶入れを拝借して腰をかけて、
むしゃむしゃ。もう暑いくらいの陽気です。
いやー、幸せを感じる瞬間ですねー。 まぁ、なんてスケールの小さい幸せか。
しかし、こういう小さなことを喜べることが大切なことなんです・・・なんてね、悟った
ような顔をして・・・・(^^)
朝の9時ごろ家を出て、烏山の駅に着いたらちょうど4時でした。茂木から烏山
は結構アップダウンがあり、曲がりくねった楽しい道でした。
2003年3月15日
掲示板を復活して、数日が経ちました。
なんと今日は、四国のランナーの方から書き込みをいただきました。
ほとんど訪れる人のないHPですので、こうしたウルトラ屋さんからのカキコは
とても嬉しいですね〜。さっそくお返しに、あちらの掲示板にもお邪魔させて
いただきました。
さて今日の練習は、久しぶりに栃木市にある大平山・北の公園駐車場〜大平山頂上〜
ぶどう団地〜西方の峠(岩船町境)〜馬不入山〜晃石山〜大平山頂上〜もとの駐車場
と走ってきました。午前中テニスなんぞをやって、小山市のアウトレットショップへ
時計やバドミントンシューズを買いに行き、帰って昼飯を食ってぼんやりしていたら
もう3時半。あわてて出かけて、走り出したのが4時。
ということで、山の端に沈みつつある夕日とにらめっこしながらのランでした。後半は
ハイキングコースです。電池はもちろん水も何も持ってないで出ましたので・・
暗くなると根っこに足をかけてこけるのはいやですからね・・・(^^;
駐車場に戻ったらほとんど真っ暗でした。久しぶりの山走り、なかなか楽しかったです。
2003年3月12日
あまりにもホームページがお粗末なので、ちょっと変更してみました。
で、結果は同じ。センスもないし内容もないので、まーこれ以上は何とも仕方ない
でしょう。
でも、できるだけ読みやすくするために、写真などをふんだんに入れて
作りかえる努力はします。のろのろと作業をしますので、またしばらくしたら
のぞいてみて下さい。このひとりごとだけは更新します。
2003年3月4日
今日はまた風が強い一日です。せっかく咲いた梅が、引っ込みそう。
うちの猫額の庭にある沈丁花も、ちらほら咲き始めました。
さて、この冬は昨年はじめたスノボにくわえテレマークスキーを始めました。
スノボは昨年は偶然のように回っていたのですが、今年はコツが少しわかり
何とか意思どおりまがれるようになりました・・・まだ1回しか練習して
いないので、たかが知れていますが。。。。
テレマークの方は、やはり一回だけ練習しました。こちらは何とも
うまくいきません。仕方がないのでシュテムで適当にごまかしました。
で、帰ってきてからビデオを借りて見たら、うん! 解りました。
ターンのきっかけとしては、山側のスキーを前に出すのです。でそのまま
回るので、あたかも山側のスキーを後ろにずらして回るように
錯覚したのでした。思えばそれはありえない。
よーし、今シーズン中にもう一度は練習して、何とかものにしよう。
うまくいったら報告します。
2003年3月2日
またマラニックに出ました。昨夜の雨も上がり、いい天気になるはずです。
もっとも低気圧が通り過ぎたあと、発達して冬型の気圧配置になり、風が出る可能性
もあります。まー状況をみて考えることにして、走りまじめました。
自宅をのんびりでて、真岡・益子へ向かいます。真岡の町の中の小さな神社
らしいところで紅梅と白梅が一本づつ、咲き出していました。前回の予想どおり
で、うれしくなりました。もっとも真岡あたりから、風が強くなってきました。
北西からビュービュー吹きつけてきます。
そのうち足の裏が痛くなってきました。小さな神社の陽だまりに腰掛けて
靴下を脱いで見ると、マメが2個!
亡くなった織姫さんの真似をして帽子につけてある安全ピンで
水を抜きました。これでよし。痛みはひどくならないでしょう。何とか一日もてばOK.
マメはいいけれど、風はどんどん強くなります。益子ではもう風上に向かって
進めないくらいです。
これはかなわない。体からどんどん熱が逃げていきます。つぎの茂木で今日は
おしまいにしました。約60kmのマラニックでした。
走りながら、先日見たビデオのセリフを思い出しました。
「過去を変えるのは記憶であり、未来を変えるのは夢である」
というのです。どちらかというと悪役が言ったセリフなので、ちょっとおかしいのですが
感心してしまいました。もちろん夢というのは、願望であり希望であると思います。
これについてはまた後ほど。
ではまた。
2003年2月17日。
15日(土)、久しぶりにマラニックに出ました。
自宅をのんびり9時ごろに出て、東に向かいます。石橋・上三川を過ぎて
真岡のコンビニで一休み。さらにまっすぐ東への道を行きます。周囲の畑は
畝がきれいに作られ、もう種まきの準備ですね。春がもうま近い。
畑の周囲には、いつの間にか雑草が緑になっています。でもまだ
蝶々が飛ぶほどではなく、風も冷たいままです。
どんどん行くと岩瀬とかいうところを通り(ダンプが多い)、さらに行くと石灰岩の石切場
が並ぶ山間部になります。左手の山の上にはパラグライダーが飛んでいます。
そこから小さい峠をこえて少し行くと、笠間にでました。焼き物屋さんが
目に付きます。 まだ午後3時前。もう少しいきましょう。
笠間から10キロ足らずいくと、次の駅の宍戸につきました。
少し風が強くなり日差しも弱くなってきました。今日のマラニックはおしまい。
今度のマラニックには、もう花を見られるかもしれません。
2003年2月7日
皆さん、まことに申し訳ありません。
というのは、過去の掲示板のメッセージのいくつかが、
誰かの悪意的ないやがらせによって、消されてしまいました。
昨年のことです。いくつか普通のカキコを装った品のない商業目的
の書き込みがあったので
管理人として削除したのです。すぐまたカキコがあり消しました。
そういうことが何度かあったあと、今回のように
全面的に嫌がらせの対象となり消されてしまいました。
このインフォシークの掲示板は、無料とはいえ普通の手段ではそういうことはできないように
なっているはずです。 それができるということは、かなりのネット技術の持ち主か、
インフォーシークの欠陥かでしょう。あるいはインフォシークのネット関係者かもしれません。
とにかく、こうしたことがおきるということはひとえに私の不徳のいたすところであると、
反省しております。
ですので、しばらくは掲示板を閉鎖して次の何かを考えたいと思います。このつぶやき
欄で掲示板を復活したときにはお知らせい
たしますので、以前と変わらないご愛顧
をいただきますようお願いします。
いままで何度か掲示板にメッセージをくださいまして、ありがとうございました。
Sorry Again!!
2003年1月27日
とうとうインフルエンザに罹ってしまいました。
先週の木曜日あたりから、なんとなく調子が悪いな・・と思っていたのです。
土曜日になって急に鼻がビービーいいだし、夜にはもうひどい頭痛と発熱咳がゴンゴンでした。
日曜日(26日)は千葉・館山の若潮マラソンだったのに、出られませんでした。
若潮マラソンは、昨年も出られずでした。
寝込んでしまうほどの風邪は久しぶりです。さすがインフルエンザ。強力ですね。
多少の日ごろの鍛えなんか、何の役にも立たない(ことはないはずだけど)ような気がします。
今日(月曜日)はとうとう仕事を休みました。
一日体を横たえて寝ていると、もう体に根が生えてくるような気がします。このまま
走れなくなるのではないか?などという恐怖も出てきます。
まぁ、しかし、こうして体力のあるうちは風邪にも罹って抵抗力をつける訓練もしたほうがいい
気もするし・・・何がいいんだか悪いんだか・・・
2003年1月18日
最近は必死に右足の筋力を回復させなければ・・・とちょっと焦り気味です。
なにしろ目一杯走っても、タイムが10キロにつき5分くらい遅いまま回復しないからです。
20キロ走って10分も遅いと、ほとんど絶望感に襲われます。
坂道ダッシュなどをやって、多少戻りつつある気がしたのに・・・
やはりウェイトトレーニングをやって、右足の筋力だけをアップしなければならない
のでしょう。
今日は古賀志山の林道を走ってきました。
寒かったけれど、やはり山走りはいいですね。
2003年1月7日
みなさん、明けましておめでとうございます。
歳をひとつとって、何かいいことありますようにと願うのみで
すねー(年とっていいことあるわけないって? いやいや考えひとつですよーきっと)
ま、ともかく、近隣の窮鼠ネコを噛むような国が暴発しないこと・おひげの大統領の国に
爆弾が落ちないこと・・・その他いろいろを祈って明日からの日常性に、埋没しましょう??
2002年12月27日
いよいよ2002年も終わり。この一年、何があったんだか・・・いろいろあったようで
よく考えると取るに足らないことばかりのようでもある。
まさしく虚無の塊集。
FSKフィッツジェラルドという作家の「人生の後半生は喪失の連続である」という言葉を
川村和広氏は引用し、「ウルトラマラソンでは、その後半生に
入っているランナーが活躍する」といっている。
年をとることによって喪失するものは大きく、哀しみのみをもたらす。
しかしその反面、後半生に入ってこそ伸びるものが確かにある。それは若い時にやろう
と思えば、伸ばすことができるものであると思う。
幸か不幸か(?)そのことを若者は知らないだけだ。
不思議なことに、のちに喪失される「もの」が邪魔をしたりして、若いあいだに
伸びることが一般には難しいのである。
人生はなんと不思議に満ちて楽しいものだろうか・・・(なーんちゃって)。
2002年12月17日
最近、親戚と話していて・・・
親戚:健康のためにそこまで走らなくていいだろう?
私:何も健康のために走っているのではない。
親戚:じゃー、走っていて気持ちいいからからか?
私:いやちがう。走っていてぜんぜん気持ちよくない。しんどいだけ。
親戚:じゃ、おまえは一体何のために走っているんだ?
私:それはね、・・森の奥の奥にある天国の味わいの果実を味わうためさ・・
天国の味わいの果実の話は、高石ともやさんの本に出てくるものです。
ウルトラマラソンの魅力はそれをやったものにしかわからず、説明は徒労でしかない。
だからもうそれを声高に言うのは止めよう・・・と高石さんはいいます。
あの果実の味は、100日分の荷物を背負い、いくつもの山や谷を越える根気と、
恐ろしい怪物や悪天候や孤独な夜や疲労に耐える
勇気なくしては、味わえないものだとも。
何事もそうですね。
努力や根気や勇気なしに、多少とも美味しい果実を口に入れることはできません。
しかしそういうことをしないで、あたかも知ったかぶりをする人の多いこと。
ああいう風にだけはならないでいようと思います。
どんなに少なくオソマツでわずかであっても、自分の全身全霊を使って
得た果実は、それなりの味を持つものですよね。
2002年12月2日
はー、もう今年も終わり。まったく早いです。トシをとればとるほど一年が
短くなる。これは一体なんでなんでしょう?
少し前までは、この時間感覚は年齢的な脳の萎縮や、処理することが多くて忙しいこと
に関係があるのだろうと思っていたわけです。 もちろんそれもあるはずです。ところが・・・
いわゆる子供というのをよく観察してみると、全体的な知識の幅や深さが
我々”年寄り”に比較して
決定的に不足しているのが解ります。
あれと関係があるのではないか?という気がしてきました。
つまり知識や経験の不足のおかげで、世の中や身の回りのアレコレに
あまりとらわれないわけです。
その結果新しいものを生み出す創造的能力を発揮できるという利点がある反面、現代の
さまざまな事を詳しく自分なりの批評を加えてとらえることができない。つまり下手をする
とやることすらなくて、毎日ボーと過ごしてしまう所にまで落ち込んでしまいます。
そのために、時間のたつのが遅く感じられる。。。。。というのが本当の
ところではないか?・・と思います。
であれば、時間のたつのが早く感じられるほど知恵がついてきた証拠だと・・・いいことか
悪いことかは別にしてね・・・いかがでしょう。
なおちょっとお勉強。。。フランスの心理学者のポール・ジャネーによると、
「生涯のある時期における
時間の心理的長さは、年齢の逆数に比例する」(ジャネーの法則)。。。。だそうです
。
2002年11月30日
ようやくイスタンブールの写真集だけアップしました。
一応、あれだけあれば旅行記は不要?
かもしれませんね。まぁ、今度イスタンブールへ旅行したいので、少しでも情報を
という方のために、何か役に立つことを書いてアップするつもりです。
ではまた。
2002年11月25日
すみません。一ヶ月サボってしまいました。
その間にHoopsがInfoseekに吸収されてしまいました。
まったくもう!!Infoseekの無料HPがバナーまみれになって気分が悪いので
Hoopsに乗り換えていたというのに!!
おかげで皆さんもうお気づきでしょうが、このHPを開いたとたんにバナーウィンドウが
新たに開かれ、気分ワリーーと思われたことでしょう。誠にすみません。
また、カウンターやBBSも消失してしまいました。
かくなるうえは、またどこかに引越ししようと思います。
ともかく、しばらくはこの状態で更新しますので、お気に入りへのURLの書き換え
などよろしくお願い申し上げます。
2002年10月24日
(前回の続きです)物足らない旅行でしたが、イスタンブールはそれなりに
楽しかったです。
なんと言っても今までスパイ映画といえばイスタンブールが出てきて(007シリーズ)、
ボスポラス海峡は東洋と西洋の区切りで・・・グランバザールの雑踏や迷路のような
怪しげな路や、スルタンのハレム。
巨大なモスクにアッラーの神へのお祈り(コーラン)の響き・・・
長い間あこがれていた所でしたから。
食い物はどこで食べても美味しかった。ギリシャではスブラキと呼んでいた
チャパティのような小麦粉を薄く焼いたパンに肉や野菜をクルクルと巻いてその場
で食べるものや、有名なシシカバブ。
シシカバブはギリシャでも分かっていた美味しさ。面白かったのは
どこの店でもシシカバブといえば、その店独特のちょっとした工夫があって、いわば
自慢の定食のようなもの。野菜や炭水化物(フレンチフライやバターライス)と
焼肉の取り合わせで、それだけで十分お腹いっぱい。
2002年10月9日
スパルタスロンへの旅から戻ってきました。
スパルタスロンは予想通り、全然問題になりませんでした。なにしろアクロポリス
の丘をかけおりて500mも走らないうちに足の痛みが出てきたのですから。
これで250kmもの距離を走れるわけがありません。
誰かに言われました。それは神様が、人生にいい気になるんじゃないよと諭されたのだと。
確かにそういう気がします。このところちょっと甘くなっていた反省をすることにします。
今回は後半の旅行がメインとなってしまいました。
しかしぼくの予定としては、心地よい筋肉痛や全身的な深い疲労感の回復を計りつつ
けだるく観光をしてまわるというのでしたが、それが果たせず単に楽しいだけの
物足らない旅行でした。
2002年9月19日
いよいよスパルタスロンまで一週間となりました。足は一進一退という
ところ。。。。オリーブ畑の中をトボトボと歩いて、つらいつらいリタイア宣言をする
自分の姿を想像して暗澹たる気分になります。ま、しかし、アッラーの神とヒンズーの
神々はもしかすると粋な計らいをして、有り余るほどの幸運をぼくにくれるかも知れません。
ビクトリーロードを駆け抜け、レオニダス王の足に触れる希望は捨てないで
走ろうと思います。
ところで・・・・・
いま「ただ走る哲学者」という本を読んでいます。
なかなか面白い記述を見つけました。以下です。
・・・・人が走るのは、人がそこで空虚になるからだ。
あらたな充実を求めて走るのではない。充電能力を回復するために使い切る
のではない。ただ単に、その空虚がいいのである。自分が風や水や雲のようになり、
光と影にふれあって走っていると、ボンヤリあれこれ考えて、しかし何も残らない。
その空虚がいい。・・・・
いかがでしょうか。さすが哲学者。これがすべてではないにしろ
ランニングの一面の真を語っていると思います。
9月6日
足の怪我の続きです。
まだ良くなりません。
バイクによる怪我が、そんなに簡単によくなるわけはありません。今さらながらに
自分の筋力だけで生じた怪我と、外力(それも交通機関による衝撃)による怪我
の差がまざまざと感じられます。
それでも1日1日と、すこしづつよいほうへ向かっていることは確かです。
なんとかあと一週間くらいで、超長距離の練習を一度だけでもスパルタまでに
やっておきたいと祈るのみです。
2002年8月29日
じつは8月17日にオートバイで事故ってしまいました。
今さら後悔しても始まらない。
ダメージは右太ももの内側〜後ろ側の筋肉。事故直後から数日間は
ももが倍くらいに腫れ上がっていました。今日あたりはほとんど同じ太さにまで戻りました。
しかしもちろんまだ走れません。
走る格好だけして歩く速さで移動するだけ。なんとか昼と夕方で16kmほど「移動」でき
ましただー。
問題は9月末のスパルタスロン。今さら引き返すことは考えたくない。
完走できないだろうと勝手に決めて行かないなんて嫌だ。しかし途中でリタイヤ
するのはつらい。 かといって痛みをこらえていけるところまで行くのはもっとつらい。
いけたとしても、最後の最後まで時間に追われ痛みに苦しむのは、もっともっと
もっとつらいだろうな〜〜と考えるだけでつらい。
2002年8月14日
8月は暑くて練習の積算走行距離が短くなると思いきや、この数年の記録をみると
7月より8月の方が走っています。
これは恐らく、からだが熱さに慣れることと、8月後半になると意外と風が乾燥して
きて、走りやすくなるためだと思います。
普通の人から見れば、とても暑くて走れないと思うでしょう。しかし実際に走ってみると
風がきて案外涼しいものです。汗が出てその蒸発による冷却能力は、なかなかの
ものがある。人間はやはり水冷エンジンなんですね。
ところがこれがテニスなんかだと、そうはいかない。テニスコートは風の影響をうけない
ように、防風の設備があります。これで水冷効果が半減します。
だからテニスの方がずっと暑い。暑いだけ。汗は流すけど有酸素運動ではない。
あまりエネルギーを消費するわけではないので、テニスでは痩せないと分かります。
2002年8月8日
8月4日は奥武蔵ウルトラマラソンにいってきました。
今年は昨年と同様、雲が多くて比較的涼しい大会でした・・・でも前夜から早朝の
雷雨のおかげで午前中はかなり湿気が高かった。それで走り出しはものすごく汗を
かきました。
大会は例年と同様でした。エイドが走っている人たちばかりで運営されているので、
痒いところから痒くないところまで手の届くサービスぶり。基本的にウルトラは
すべてを自分で処理するべきだという思いがわたしにはあるので、あれだけ
サービスされると、嬉しい反面こんなんでいいのかなぁ・・と心配になります。
くれぐれもあれが当たり前だと思わないようにしなくては。。。。
2002年7月22日
昨日は私の練習コースの古峰神社ー横根山コースを走ってきました。50kmくらい。7時間
13分。暑くて、疲労が抜けていなくて、疲れた。走り終わって、車の近くの川に
ドボンと入って寝転んだ。きーーーーーもちいい!!古峰ヶ原までの山頂部分では
風がくるとさすがに涼しくて快適。しかし道を下るほどに、むーと暑くなりました。それでも
下界に比べるとずっと涼しいはずなのに・・・。ともかく夏は水遊びに限る。
前日光基幹林道の意味のない公共工事へのむかつきも、全部吹き飛びました。
2002年7月15日
今年は家族で富士登山に行くことにした。
まぁ、富士山なんて登ってどうということのない山だけど、一度は話の種に
いっておく必要があるといえばあるだろう・・・という程度。
あと私にとっては南アルプスに登り残した山がある。何とか一つずつでもやっつけ
たいのだが・・・どうも走りに忙しくて・・・・(と言い訳・・・)
2002年7月9日
三浦敬三さんの99歳モンブラン大滑降に挑むという本を買ってきた。
いや、やはりすごい人だ。
読んでいて意を強くする部分が随所に出てくる。それは、三浦敬三さんは若い頃
からずーーーーーーと、激しいスポーツをやりつづけているということだ。
決してエネルギーの出し惜しみはしていない。
そこに99歳・・・という秘訣があるのではないか?という気がするのです。
2002年7月3日
今日あたりずいぶん蒸し暑くなってきました。
これは梅雨前線が北上してきた証拠。
ということは、梅雨明けが少し近くなったということ。
スパルタスロンまであと3ヶ月を切りました。今年はちょっと練習不足。
これからまともに遠足の練習をしなくっちゃ。。。。
2002年6月26日
鳥取県日南町の日南おろち100kmを走ってきました。
町民一丸となっての応援で、それは楽しかったのですが、相も変わらず「がんばれ」と
「ファイト」一辺倒の声援。うんざりですね。まったく精神の貧困な日本の
教育はいつまで続くのでしょうね。 こんなに精神の幼稚な日本人を見て
幼稚園児だといったマッカーサーの目は鋭い。
2002年6月13日
スポーツで重要なことに、精神がよく言われる。ところがぼくの言っている
精神と一般にマスコミがいう精神とは全然異なる。マスコミの言っているのは、根性とか
我慢とか・・いういかにもオソマツな旧来の精神主義的発想。・・・いつも思うが
何であんなにマスコミの意識レベルって低いのだろう?
2002年6月10日
最近、「歳をとると体の健康は精神のエネルギーと深く関わっている」
ということがますます目に付くことがありました。
これはじぶんでも今からはっきり意識していなければならない・・・と思うのは、とにかく
常に外界に意識を向けて、実際に身体を動かして行動をし、精神のリフレッシュを
計らなければならない・・ということです。
これを怠ると、たちまち意欲は消えうせ精神のエネルギーは低下し、そしてたちまち
外見的にも老化が進んでしまう。
2002年6月4日
もう入梅かと思ったら梅雨前線は南に下がったまま、毎日いい天気。
天気がいいともちろん走るのは気持ちいい。多少暑いけれど、それは十分楽しめる要素だ。
「心のスポーツ」とか格好だけつけて澄ましてるけれど、走っている時に
自分は何を考えてるかな・・・と冷静に走りながら思ってみると、やっぱり全然大したことは
考えていない。どちらかというと山のような煩悩ばかり考えている。
まぁ、こんなもんだね。
2002年6月3日
誰もゲストブック書いてくれないなー・・あたり前か。
だれにもこのHP のことを知らせてないからな・・
ま、そのうち追々、人に見せられるものになったら(そういう日はこないか?)
友人達に知らせることにしよう・・・
2002年5月31日
午前中、長い間あたためていた(割にはできの良くない)有田せいぎさんへの原稿を
エイヤっと送ってしまった。フランスまでの航空便でフロッピーディスク入りだから400円でした。
内容は、例によってのぼくのグダグダ。 有田せいぎさんは、少し前までの24時間走の
日本記録保持者。その原稿は有田さんの手製本に収めていただくことになっています。
ものすごくマニアックな本。だけど、この道の人はほとんどが読むのでは?・・・と思うと
恥ずかしいやら罪悪感やら(いいかげんな内容なので)・・・
2002年5月30日
ワッサラム・アライクム!!
初めての独り言です。誰かこんなの読んでくれるのかなぁ・・まぁ、書かないことには
誰も読めない。書いたって何になる?・・そんなことは考えないでおこう。誰かが読んで
それがきっかけでふれあいが始まらないとも限らない。すべてはインシアラー(カミのみ
ぞ知る。。。神のご加護のままに) アラーアクバル!!(別にイスラム教徒ではないの
ですがね・・)
はじめに
はい、私は団塊の世代のおや〜じであります。
とれたのは関西であります。どういうわけか栃木に流れ住んで30年近くになります。
やっていることは、何なんでしょうね?・・・自分でもよくわからん。
一応、栃木県のさる大学に奉職しています。でもたいしたことは
やってないなぁ・・・・。いつも給料をもらうときに、罪悪感があるくらいです・・(^o^)
で、自己紹介というほどのことはなく、まぁ、この先を読んでみてください。
。